cheat_IEの雑録

趣味関連のことを書きます。

『大学生活と自己についての省察』

 

先日*1卒論の発表を終えて、いよいよ大学生活も残りわずかであるということを再確認させられた。

卒業単位も足りている、会社に入ってから最低限必要となる資格も取ったため、後はモラトリアム期間を好きなように使うのみである。

飲んだり遊んだりと余暇を満喫する人もいれば、将来へ向かって現時点から殊勝に自己研鑽に励む人もいるであろう。

このモラトリアム期間に際して、私も様々なことを行いたいとは考えているが、一つここで今までの大学生活を振り返る簡単なブログ記事を書きたいと思う。

パソコンやスマホに入っている写真や今までの自分のSNSなどを参照しながら話をまとめていく。

正直なところ、「自伝」や「エッセイ」といった明確なカテゴライズをできるようなものではなく、かつ、他者に読んでいただいて何かためになったり、娯楽として昇華出来たりするような代物でもない。

今までの人生、特に大学生活中に体験したことや考えたものをこの機会に一纏めにしてとりとめもなく書き綴るのみである。よって、議論が途端に飛躍したり、話題が突然がらりと変わったりすることもあるかもしれないが、ご了承いただきたい。

しがない大学生が学生生活の終わりに際し、これから社会人として働くことになる自分のために書いた記事、選別のようなものである。

 

以下に記す。

 

 

 

 

 

 

大学一年(20204月-2021年3月)

私が大学に入学したのは2020年の4月、都内にある某私立大の法学部に入学する。

学力は人並みくらいのものだが、私が通っていた高校のレベルから考えると健闘といった塩梅で、高校時代にそこそこ熱を入れて学んでいたことが結果を結び、大学受験を終えた。(所詮理系教科がからっきしの私文であることは断りを入れなければならない。)

そのような経緯で迎えた大学生活だったため、キャラ変して大学デビュー、花の大学生生活とまではいかなくとも(そんなもの根っからの陰キャオタクにできるはずもない)、世の大学生と同じように多少なりとも新たな環境に対する希望を抱いてはいたのである。

そこに新型コロナウイルス(以降コロナ)による社会的な混乱がもたらされ、生活は一変した。これは無論私だけのことではなく、世間的にも大きな出来事で会ったことは違いないが、新たな生活を夢見た大学生たちも同様に影響を被ったのである。

気付けば、キャンパスで展開される新たな出会いといった花の大学生活はどこへやら、パソコンとひたすらに向き合う自分がいた。

そもそも、大学という場の仕組みや学び方も分からない状態であるにも関わらず、周りと相談も難しい中でやりくりすることはかなりの苦行だった。特に、一学年や二学年の時は必修科目が多く自由も少ないため、オンライン環境下でとりあえずやらなければならない課題をこなすという日々を過ごすのみである。そのような状況にいる私の様子としては勉強している姿勢は認められつつも、中身を伴わない勉強であった。実際、一学年や二学年前期辺りに行われた必修科目の内容やオンライン授業で行ったことの内容は今思い出そうとしても思い出すことができない。

とりあえず単位を取ることだけに注力して今できること、やらねばならないことのみを為した。今になって考えてみれば、ある意味この行いのおかげで2年後期や3年、対面授業形式が始まってから必修に縛られることなく自由に講義が取れて大学で学ぶこともできたために強ち間違いでもなかったように思える。特に、自分は法学(法哲学をはじめとした基礎法学はまだしも、特に実定法学について)はあまり興味が湧かず、むしろ人文学、文学部関係のことについて力を入れて学んだため、言い方は悪いが、必修をオンライン授業で「片づけること」ができたのは良かったのかもしれない。

 

以上のように一年目は味気ない大学生活を送ることになる。

ただし、難しい状況下でもなんとか人間関係を築こうと(珍しく)前向きに取り組んでいたようで大学生用のSNSのアカウントで学友たちと繋がろうとしたり、10月にはコロナが少し落ち着いたためになんとか開かれることができたサイクリングクラブの新入生歓迎会に参加したりしていた。この努力が功を為して、前者では今でも連絡を取り続ける友人が何名かでき、後者の部活に関しては紆余曲折を経て高校時代に引き続き部長の役に就くことになるなど一年次の時点で私の大学生活の主軸というものが知らず知らずの間に固まりつつあったのだと今更ながらに思う。

また、オタク趣味的な部分に関しては大学生になってから周りとのかかわりがあまりなく、外にもなかなか出にくいということでエ▢ゲーというジャンルに手を出し始める。

こちらも私の大学生活において切っても切り離すことができない重要な一つの要素だ。

2020年の6月あたりからエ▢ゲーに関するツイートも少しではあるが見られ始める。

 

 

この時はまだエ▢ゲ界隈というものにも属していなかったようで、以下のツイートにも見られるように2021年も同様に繋がっておらず、2022年から界隈と繋がり精力的にその手のジャンルのツイートを頻繁にTLに流すようになる。

 

 

趣味はこのような感じで。

あとはサイクリングクラブの新入生歓迎会に参加した後、ロードバイクを購入しているため、大学のオンライン授業とバイト以外で時間がある時は専らそれであちこち走り回っていたような記憶がある。(密を回避!外出控えて!という話がある中、自転車通勤や通学といった密になりにくいサイクリングは比較的社会的に受け入れられていたような印象があったため、それを良いことに乗り倒していた。)恐らく、自転車で秋葉原に行ったの2020ー2021の時期が最も多く、かれこれ大学生時代合計するとゆうに30回くらいは行っていたいたように思える。家から大体往復で60キロちょっとあるのでそれだけで1800キロは走っていることに。その時は大学に通ってないこともあり、定期もなかったため東京に出るには交通費がかかる。秋葉原で言うと往復でラノベ二冊買えるくらいには交通費がかかるため、自転車で行くことでそれを削減したと託けてエ▢ゲを行く度に買っていた。

やるべきことはやってあとは自分なりに楽しむということで、なんだかんだいってうまく過ごすことができていたようにも思える。

 

 

大学二年(2021年4月-2022年3月)

2021年の4月、少しずつコロナが落ち着きつつあったために1年遅れではあるが対面の入学式をキャンパスで行ったことから大学二年生の生活が始まる。当然、自分たちの次に入ってくる真なる一年生(いわゆる自分が24卒にあたり、その次に入ってくる真なる一年生は25卒にあたる)と同じタイミングでキャンパスとまともに触れ合うことがやっとできた。大学の必修の講義で同じだった友人と2年目にもかかわらず教室がどこか分からないままにうろついている自分らの状況について、「これでは1年生と何も変わらない」と皮肉半分笑い種半分で話をした記憶が印象に残っている。キャンパス生活が無かったという1年の空白を埋めることはできないが、2年から「大学生生活」を満喫しようと意気込んでいた。

ただ、この1年もやはりコロナの影響から脱却することは叶わず依然として猛威を振るっていた。感染の拡大状況によってまた人が集まることに規制がかかり始め、オンライン授業に変更されるなど振り回されっぱなしである。特に、集団が集まってテストを受けることに関して学校側も懸念をしたようで、テスト期間は対面のテストがあるもの、オンラインのテストがあるもの、レポートですむものと講義によって形式が様々であった。私の学部は本来であれば対面のテストがほぼ成績に直結する講義が多いようだが、それが幾つかレポート形式に代替されることも少なくなかった。私個人としてはレポートの方が幾分か楽だったため、ここでもまた奇しくもコロナから恩恵を受ける部分もあることはあったと言える。

この1,2年で必修の単位は取り切ったため、大学の学問的に言うと残りは本当に好き勝手やらせてもらった。

 

2年生でのビックイベントとしては二十歳になったこと、つまりお酒などを飲めるようになったことである。これは外して私の大学生活を語ることはできない。というのも、大学生中に何にお金をよく使ったか振り返ってみると本、エ▢ゲときて、次に酒が来るくらいに恐らく金を使っているためである。今となっては人とも良く飲むし、家で一人酒することも度々。そんな自分が二十歳になった時のツイートが以下のものになる。

 

 

初手から日本酒を飲んだ。これは私が正月の時に舐めて味を知っていたお神酒やお屠蘇の味が好印象であったことや『東方project』(私がオタクになるきっかけとなった作品、小学校高学年の頃に触れた)という作品に出てくるキャラクターたちは専ら日本酒を飲んでいたということから、二十歳になって初めて飲むお酒は日本酒と前々から決めていたのである。

飲んだお酒は写真の通り、「大吟醸 幻の瀧」。もう2年前くらいに飲んだお酒の味なため、記憶は曖昧だが、味としてはやや辛口。入りは米の旨味がありつつ、基本頭から終わりまでスッキリとした味わいで、締めにキレがあるといった感じだった。当時は吟醸純米吟醸などと日本酒の味の傾向を把握するに至っていなかったわけだが、今思えばふくよかな米の味わいが広がっていくというより、一本筋の味が通り抜けていくといった特徴を持つ、吟醸酒らしいお酒だったと言える。

とにかく、これをきっかけにお酒を飲むようになった。基本お酒はその場その場の相性を考えてということをモットーにはしているが、飲むお酒の酒類で言うと専ら日本酒を愛飲していた。大学二年生の終わり、2月には長野や岐阜辺りに旅行へ行き(長野・岐阜旅行番外編【お酒・食べ物編】 - cheat_IEの雑録を始めとした聖地巡礼など、旅行記の記事がある)、そこでは酒造巡りを行うくらいにとにかくハマっていた。

当初はお酒を挙げることに関して、酒イキリなのではないかとビクビクすることもあったが、その気持ちはどこへやら、最近は専らツイートすることと言えばどこかへ出かけた時のことか酒を飲んだ時かくらいのものになってしまっている。ある意味2年前の初々しい頃が懐かしい。もはや、趣味の一角をなしているので今後も健康を害さない程度に楽しむことができればと思っている。

なお、お酒は本当に強くない。初めてお酒を飲んだ時には間に水を挟むといったことも碌に行っていなかったせいで速攻ベッドで寝っ転がることになった(これに関しては今でもあまり変わっていないかもしれない。)そして、果てには寝ているうちに手足が痺れて痛み出したのを覚えている。あの時は心底酒が向いていないのだと思い、味が楽しめただけに落胆していたがそんなものは杞憂であった。お酒についてはひとまずこのくらいにしておく。また後に出てくる。

 

次に趣味について。エ▢ゲの中でも『素晴らしき日々』という作品を2021年3月にプレイし終えて、そこから自分は大きく変化することになった。

 

 

というのも、読書を「再開」することになったのである。本を継続的に読む習慣がこの作品を通して蘇った。

私は小学生の頃は読書をよくしていて、図書委員に率先して手を挙げるほどに本に愛着を持っていた。読む本は「ダレン・シャンシリーズ」といったファンタジー小説や小学生向けに書かれた「三国志」の文庫本などが読んでいた本として印象に残っている。

中学に入るとより幅広いオタク趣味を持つ友人たちと出会い、彼らとの交流をする中でラノベをよく読むようになった。やはり『俺の青春ラブコメは間違っている』をきっかけにラノベにハマり、中学生時代に読んだラノベの数は最早数えきれない。自分の部屋の本棚にはその名残が残っていて、今でもラノベが200冊をゆうに超えるくらいのものが部屋の中に並べられている。友人らにもラノベを布教し、恐らく4,5人くらいに自分の持っているラノベを貸し出し、仲間内で最近お互いに買ったラノベを交換するということも行っていた。当時はちょっとした「オタク図書館」(?)という存在として慕われていた。

そして、高校に話は移る。高校に入ってからスマホを持ったということもあり、そこで今まで続けていた読書習慣はそこでぴたりと止まった。日頃移動の時には本を携えて、電車の中で読むといったことをしていたわけだが、気づけば本が手に収まっていたところにはスマホがいた。ソシャゲを始めたということもあり、専らスキマ時間にはそれに時間を使っていたと思う(特に『Fate/Grand Order』)。ソシャゲだけでなく、ネットサーフィンはもちろんのこと、それらにまつわるSNS、動画サイトなど膨大なコンテンツにスマホ一本で触れることができるために、本は気づけば遠い存在となっていた。高校時代はTYPE-MOONにハマっていたため、活字媒体に何かしら触れた時があったとすればそれくらいのものだったと思われる。

そのような私が、再度本を読むきっかけを与えてくれた作品が『素晴らしき日々』である。作中では様々な本が出てくる。宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』やルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』といった文芸系やウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』やニコラウス・クザーヌスの『学識のある無知について』といった思想系、果てにはエミリー・ディキンソンの詩やエドモン・ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』という戯曲の一節などよくぞこれほど、と言いたくなるほどに様々なジャンルのものがあちこちで作中では出てくる。この『素晴らしき日々』という作品が好きだったこともあり、それをより理解したいという思いもあり、プレイが終わった後に作中で引用されていた文献に片っ端から手を付け始めた。恐らく作中で出てきたものは全て読んだと思われる。恐らく、作中に出てきた本を一冊読むだけであれば、恐らく読書習慣を復活させるまでには至らなかったことであろう。ただ、今回は片手ではたりないくらいに様々な本を読み、かつ難解な本も多かったために、暫くの期間本と触れ合い続けることになった。その間で読書の楽しさを思い出すことができた。そして、本を読み進めていくうちに作品に載っていた本関係なしに読書を行うようになっていた。読書を進めていくうちに自分が興味のある分野についても自覚が芽生え始め、大学の講義にも熱心な姿勢で臨むようになっていった。(その反対側で、本来自分が所属する学部柄の学問からはかけ離れていくことになったことは認めなければならないが。)

読書という行いが自分の立派な趣味の一つとして復活を果たすことになり、神保町なども大学の間に度々行ったことも思い出の一つだ。(このことについては【戦利品】神田古本祭りでの買い物 - cheat_IEの雑録で一つのエピソードとしてまとめられている。)

 

 

また、他にも『サクラノ詩』をプレイしたことをきっかけに芸術に関心を持ち、定期的に美術館へと足を運ぶ習慣ができるなどといったこともあり、エ▢ゲに触れることで更に趣味を見つけるといったこともあった。

 

 

こういった点で言うと本当にケロQ/枕作品様様である。高校時代にオタクとしての活動を型月に費やしたという言い方に倣うのであれば、大学時代はケロQ/枕に影響を受け、様々なものに触れたと言えるのかもしれない。そして、読書にしても芸術にしても気づけばきっかけという部分から徐々に離れ、自分の嗜好にして思考を構築していくことができた。人物で挙げるのであればショーペンハウアー、分野で言うのであれば認識論や美学論に大きく関心を持つことになった。

私が今まで生きてきて曖昧模糊として抱えていたものについて明晰に語ったり、答えの中の一つを指し示してくれたりした人物がショーペンハウアーだったためである。本を通してかの人物に巡り合うことができた時の衝撃は今でも忘れがたい。

ショーペンハウアーの論じてきたものは多岐に渡るがその中でも印象的だったものが彼の厭世観と認識論だ。

 

生きる上で付きまとってくる苦しみに直面した際に、何故生まれてきたのか、生きる意味とは何か考えたことがある人は少なくないであろう。私もその中の一人で、辛いことに会った時はもちろんのこと、その他にも所在なく一人酒をあおっている夜などにそういったことを考えることが度々ある。しかし、私のような矮小な存在が考えたところで何か明確な答えが出るわけでもない。X(旧Twitter)にあるとあるアカウントで愚痴やその一時に浮かんだ益体もないまとまらぬ考えを垂れ流すといったことを性懲りもなく繰り返す日々であった。そのような無為な行いを行っているところに応えの一つを指し示してくれたわけである。霧がかっていた頭の中に抜け道が現れ、光が差し込むようであった。自分で理解が及ばぬもの、曖昧模糊としたものに苛まれることは辛酸をなめる如き所業である。ヌミノーゼ(numinose)とはよく言ったもので未知なものに対する恐れは人が元来持ちうるものである。赤子や幼き子がよく泣くのは自分にはあずかり知れぬものが世に蔓延っているためである。そういった理解が及ばぬ恐れとなるものの良き例が人の生き死にであろう。そして、私は僅かではあるがショーペンハウアーを通すことで理解と糸口を得た。

ただし、ショーペンハウアー厭世観は毒にも薬にもなりうる。賢人の知恵は一般人が取り扱い難い重みがある。口のはさみようもない確固とした正論は時に残酷である。特にショーペンハウアーは反出生主義という概念を話す上でも著名な人物であることからこの手の話題に関しては殊更にそうである。私は人の生について考える際に、今までぼんやりと悩まされていたものに対し、以前よりもクリアーな状態で向き合うことになったわけだがそのおかげもあってより重々しく見えてくる部分が現れたわけである。いよいよ私の根の部分にある気質である皮肉っぽさや自嘲的な部分がペシミズム、はたまたショーペンハウアーと完全に同調し厭世主義に走るかと思いきや、また別の路線を見出すことが適う。

 

その路線を見出す一つの糸口となったものがショーペンハウアーと同時に読み進めていたソーシャルゲームである『ブルーアーカイブ』だ。もう少し具体的に言うのであれば、その作品に出てくるキャラクター「白洲アズサ」との出会いが大きな影響を及ぼすこととなった。これについても本腰を入れてストーリーからその魅力と何から何まで説明をすると長くなってしまうため簡潔に述べると、「vanitas*2──現実は苦しいものだが、それでもそれでも生きる」という在り方を持っているキャラクターである。創作の世界なのだから苦しいことなどみな忘れて幸せに描かれている、そのようなキャラを見ることにこそ価値があると考える人もいるであろうし、私自身中学くらいの頃まではその考えに近しいところがあったためその意見は否定はしないが、今の自分の嗜好は気づけば変わっていた。厳しさを知った上でも溌溂と立ち振る舞う、その強い在り方のすごさを年を経るごとに改めて強く実感し、惹かれるようになった。悲劇的な状況においても抗い、その先にあったものを肯定するという行いはなかなかできるものではないが、貴いものであり、できうることならば見習いたいと感じた。そのおかげもあってか、ショーペンハウアーの論の正しさを受け止めた上で、自分なりに「それでも」と思うようになっていった。

また、私が生に対し前向きな気持ちを抱いたのは上記のこともきっかけとしてはある(ショーペンハウアーを読んでいた時期に同時進行で『ブルーアーカイブ』にも触れていたため)が、根底の部分はもう一つある。後にきちんと記すが、人の縁に恵まれたためである。殊に友人に関しては心の底から感謝している。

 

次に認識論について。「人は事物をそのまま認識することはできない」というドイツ観念論的な考え方に私の物の見方に大きく影響を及ぼした。理論としても、私的な状況もあり地に足の着いた現実的な部分からもこの考え方に大いに共感したのである。ショーペンハウアーに倣うのであれば、個人性を混入せずに認識することはできないということであり、カントに倣うのであれば空間や時間といった諸要素を通して認識する他なく、その意味で「物自体」を見ることはできないということになる。

昨今のネットの言論の荒れようを見ていると、この理論が如何に正鵠を得ているものだとつくづく感じ入ってしまう。何も認識論は机上の空論などではない。

 

脱線した話題を含め、色々と詳述しすぎたやもしれないが兎にも角にも、読書の営みを行うことで自分の興味や考え方を涵養し、広げることができた。何か実用的な部分があったかと言われると人文学という柄もあり、やや回答に窮してしまう。強いて言うなれば大学の4年時に学部の中でも優秀層に入り、学校からお褒めの賞を貰ったことがあったが、これを為すに至ったのは、少なからず上のような営みが影響していることであろう。また、卒論についても自分の興味のある分野を見出し、熱心に取り組むことができたことも一つ良かったと言える。卒論のための読書が苦にならないことの幸せさを周りの様子を見て実感した。

 

このような塩梅で、依然として行動に制限がかかるなど、コロナに振り回されてはいたが、エ▢ゲや読書に打ち込むなど自分なりに充実した年を送ることができていたのではないかと感じる。大学1年と2年でバイトにもかなり時間を割いていたこともあり、そこで稼いでいた貯金に今救われている。3年からは部活動や就活、卒論色々な部分でてんやわんやになり、バイトの数は徐々に減らしていたためだ。

では、良くも悪くも本当に濃かった大学三年の話へと進む。

 

 

大学三年(2022年4月-2023年3月)

乱高下の如く精神が揺さぶられた時期が大学三年である()。

その大事を記す前に、ここでは先に趣味の面について言及しておく。

 

 

エ▢ゲ界隈の方々とはもう何度も飲み会に参加させて頂いているのだが、初めて飲み会に参加する際のツイートが2022年4月に見つかった。この少し前のあたりからその界隈の方々とリプやいいねなどの交流がX(この時はまだTwitter)で見られるようになる。この飲み会をきっかけにより、界隈の方々と仲良くさせて頂けることになったという点で思い出深い飲み会の一つである。お声がけして下さった主催者のUさんにこの場をお借りして再度御礼申し上げます。また、日々仲良くして下さっているFFの方々にも合わせて御礼申し上げます。

 

また、お酒の趣味で言うと大学二年生の時は日本酒に傾倒していたが、そこに並ぶくらいにウイスキーにもハマることになる。

 

きっかけは就職活動のインターンシップで大阪に行ったことだ。インターンシップが終わった後、深夜バスで帰ろうとしたところ帰りのバスが思ったよりも遅く、見知らぬ土地で手持無沙汰になってしまった。観光をしようにも夜も更けてきており、時間も時間であるため、空いている店も少ない。途方に暮れていたところに一つ自分の中で欲求が浮かび上がってくる。「そうだ、酒でも飲んで時間をつぶそう。」そうと決まれば話は早く、近くでその時間でも空いている店を検索をかけた。その際にとあるバーがふと目に入ってきたのである。普段であれば入らないであろう場所であっても飛び込めるような、そんな力が旅(正確に言うとインターンで来たのだが)にはある。旅行特有の軽々とした気持ちである。万が一何か失敗エピソードがあってもそれも旅の醍醐味──旅の恥はかき捨てともいう──ということで足を運ぶことに決めた。狭い階段を上り、重い扉を開いた先には想像したとおりの洒落た空間が広がっていた。仄暗い空間に、適度に間隔がおかれて椅子が並べられている。そして、テーブルの上にはぼんやりとした灯に照らされて輝く琥珀色の液体とそのグラス、カウンターには年配のマスターが立っていた。慣れた仕草で席へと進めてくれる。カウンター奥にある所狭しと戸棚に並べたてられた酒瓶を横目に席に着く。

 

・・・・・・この形式で逐一初めてのバーでの経緯を書いていて恐らくこれ一つでそれなりの文量の記事ができあがるように思えてきた。書く形式を戻すと上記のような形でバーに入り、そこでウイスキーを飲むことでまんまとハマってしまったという形になる。就職活動で悩んでいたところもあったため、そこで話した際の年配のマスターからの一言が印象的であったり、そこの店が行きつけのお客様がたまたま隣に座り、一杯奢ってもらってしまったりなど初めてのバーにして色々といい体験をしてしまった。本当に言葉を尽くして話そうとすればそれこそこれ一つのテーマで記事一つ余裕で書けてしまうくらいに。以下のものがそのバーに行った際のツイート。

 

 

因みに、最近関西へ旅行に行き、二年ぶりに再訪した。

 

これをきっかけに関東に戻ってからもバーを徘徊するようになり、かの「無頼派」をはじめとした文豪が集った銀座のバー「ルパン」に行ったり、や大学の最寄り駅のところで行きつけのバーを見つけ、そこにあしげく通ったりとするようになった。そして、バーのマスターと話す中で自分なりのウイスキーの好みや知識を身につけて手元にも日本酒と合わせてウイスキーを常備するようになった。日本酒の時に酒造を回るのと同様に、ウイスキーでも蒸留所見学を行った。蒸留所見学についてもエピソードが満載で、初の蒸留所見学が初の海外旅行のことであり、KAVALANで有名な台湾ウイスキーの蒸留所、金車噶瑪蘭威士忌酒廠へ行った。そこでもまた新たな出会いがあり、日本人の老夫婦の方と一緒に蒸留所見学を行い、蒸留所内でご馳走になってしまった。(バーにしても蒸留所にしてもお酒を通じて新たな出会いが何回か起きているため、こういうところもお酒は楽しみの一環としている。)

そして、お酒を周りの友人に布教することで共に飲める酒友を着々と増やしていった。一番すごい友人だと自分の一つ下にもかかわらず、日本酒はもちろんのこと、ウイスキーまでもかなりの数所蔵するに至った友人がいる。

エ▢ゲとお酒とで、趣味はこのような感じ。

 

次に大学の学問面。

大学三年生からゼミに所属することになるのだが、人文学にかぶれにかぶれた私はどこのゼミに所属するか二年の後期に思案をしていた。基本学部の講義は必修、選択必修でない限りは積極的に取ろうとも思わず、あまりの自由に取れる単位は他学部、特に文学部の講義を聞き入っていた。そんな人間が実定法学や判例と四六時中取り扱うゼミに入ってしまえば息が詰まることは想像に難くない。また、プレゼミという形で二年の前期に半年間あるゼミに入ってゼミでの仕組みや研究の仕方を理解するという講義があるのだが、そこで税法のゼミに入り学んでいたところ、半年で満足してしまった自分がいたのだ(正確に言えば半年でなければ耐えられなかった可能性もある。)

そんな悩んでいた最中に基礎法学に位置する法哲学という学問を専攻する教授に出会う。教授の専門がアナーキズムであることからしてなかなかにパンチの強い人だと思うかもしれないが、正にその通りで講義を行う際にも学会に赴く際にもタンクトップの格好で臨むというなかなかに尖った先生である。その教授が開かれているゼミがあることを知り、私はそこに所属して卒論研究を行うことにした。このゼミに入ることができたのは私にとって大学生活の中の幸福の一つとして挙げられる。卒論については好きなテーマを選び、思うがままに書かせてもらうことができた。ある一章のみAI作品と著作権性という学部柄に適っているように見られる話題があるが、それ以外は芸術や哲学、美学といった議論を終始行っている卒論ができあがった。酒を一人で飲んだ時には卒論を焼き増しした他愛もない拙論をXのアカウントにて流しかけるくらいには様々な文献に当たり、考えに考えを重ねて作ったつもりではある。これらは正確に言えば四年次の話にはなってしまうが、一足先にゼミと卒論という部分でここに記した。

 

 

それでは本題へ、大学三年生の時期は主に大学の部活動に振り回されることになった。何故か、それは気づけば部活動の部長に担ぎ上げられていたためである。正確に言えば担ぎ上げられたというと語弊があるかもしれない。先代の会長や幹部らから相談を持ち掛けられ、頼まれたものを自分自身がしぶしぶでは了承したこともあって部長になることになった。

私の部活の規模は6、70人ほど所属するそこそこの規模の団体で私が4〇代ということもあり、歴史の長い学校公認の部活だ。そのような部活の団体を率いる重要な立場に何故自分のような陰キャオタクが就くことになったのか話さなければならないであろう。

端的に言えば、部長となりうる有能な人物が二人いたものの、その両者の人間関係があまりにも悪かったため、その仲立ちをするという意味もあって自分の下に部長の任が舞い込んできたわけだ。何度か言及したように自分たちの大学生活はコロナによって多大なる影響を受けた。無論、部活も例外ではない。自分の周りにも部活やサークルに所属していない人は珍しくもなく、自分の部活の同学年のメンバーは三年になった時には6、7人ほどであった。(全体で6、70人ほど所属する団体の中だということを鑑みると、自分の代の人数の少なさが如実に分かるであろう。)そのようなこともあり、ほぼ全員が幹部の役職につくことになるということもあって、部長候補となり得ていた有能な二人も当然のことながら部活の運営に携わることになる。ただ、いかんせん犬猿の仲と断じてよいほどに仲が悪く、衝突も度々あったために自分がバランサーの役割を果たすことになった。

この時に一つ感じたことが有能であるから必ずしも抜擢されるとは限らないという難しさである。実際部活動のスポーツの歴も知識も明らかに自分よりも優れていたにも関わらずこのような運びとなった。更に言えば片方は少々軽率な部分もあるが世間がイメージするであろう大学のサークル像、大学生らしいエネルギッシュさを持っており、もう片方は非常に志が高く、様々な企画を盛り込もうとしていた。ただし、どちらも我がかなり強く、その上対立しあっているという状況がマイナスと出たのであろう。いくらプラスがあってもマイナスの部分も大きければ必然的に評価が低くなってしまい、平凡でただ真面目というつまらない素養を持った私に話が舞い込んできたのだと思われる。

私のリーダー像は小学生の頃に読んだ『三国志演義』の中で描かれるような劉備像であり、強いて良いところを挙げるのであればそのリーダー像に拠る部分があったのだが、上のような強烈な人物が並ぶ中でちょうど適当だった部分もあるのかもしれない。

また、以降私がその立場に立って苦心する話が以降しばらく続くが私の中のもう一つのリーダー像のとしては『HELLSING』のペンウッド卿がいた。自分の無能さと向き合い、(あの作品の中で頭を張る人物らは自身について強い在り方を持ち、筋が通っているが故に振り切っている者、螺子の抜けた者も多いため、ペンウッド卿は無能というよりかは凡庸、普通の人間と言える)それでも自分の役を全し、最後に大往生を遂げるという結末を歩んだ。苦しい時には度々この人の名言は私を鼓舞してくれた。

 

「わ、私は、ここの指揮官だ。離れるわけにはいかないだろう。私は無能な男だ。臆病者だ。自分でも、なぜこんな地位にいるか分からんほど、ダメな男だ。家柄だけで生きてきた、自分で何も掴もうとしてこなかった。いつも他人から与えられた地位と、務めをやってきた。だからせめて、務めは、この務めは、真っ当しなきゃならんと思うんだが。」

──アニメ『HELLSING OVA V』18:30-18:50あたり

 

 

あまり細かく書きすぎるのも憚られるため、このような立場に就き、一年間活動する中で私が学び取ったことや反省を記し、この話題を閉じることにする。

 

まず、一つ目。

どうしようもない人間関係、分かりえないことはあるのだということ。

どちらも部活を行う上での方向性や意見は違えど、大切に思う気持ちは同じはずと思い、始めの方は双方の意見を聞いて取り持とうとしていたがどうにもこうにもうまくいかなかった。最終的には片方が部を離れることになってしまったのである。自分の力不足もあり、最終的に至ることになってしまったこのような事態に際し、私が読んできた本の中のとある一節がその時に浮かび上がってきた。

 

愚誣の学、雑反の言が相争ってから、人主は反対のものを同時に聴き入れる。ために天下の士は、ことばに定まった筋道がなく、行ないに恒常的法則が無い。そもそも氷と炭は同じ器の中に長くはおれない。寒さと暑さは同時にやって来ることはない。雑反の学は、両立して治めるわけにゆかない。今、雑学を同時に聴き入れ、主義の異なる説を矛盾したままに行う。これでどうして乱れずにおれよう?聴いたり行ったりすること、かようであれば、この君が人を治めるしかたも、必ずそのようになる。

──韓非子韓非子 全現代語訳』本田済訳 575頁(講談社,2022)

 

これは『韓非子』の第十九巻 顕学の中で述べられている文である。儒と墨の教えや、孔子墨子以降に分化した学派の立場の違いなどについて論じ、互いが正当だと名乗り合っていることについて批判を行う内容が記されている。そして、これら二つの相反するものを無思慮に同時に聴き入れる王の行いを戒めるべきだと引用部分で述べている。

自分の場合、愚誣の学と言えるような極端かつ大それたものではなかったわけだが、相反する意見を聴き入れるということは行っていた。また、先代の望みであるからと自分の意見を押し殺し、ただひたすらにそれぞれの耳障りのいいことを言って治めようとする阿諛追従の行い、八方美人のような振る舞いもすることも多々あった。

その末路が先にも挙げたような完全な決裂である。今考えてもどのような時点でどの選択をすれば最善だったのかは知る由もないが、少なくとも双方の意見を取り持とうとし続けたもののうまくいかなかったのは間違いない。そのせいで幹部外の一般部員に迷惑をかけたこともあった。そのようなことにならないように当時の自分は気を配ったつもりであただろうが、韓非子に述べられているとおり、どっちつかずにふるまい続ければ治め方もそのようになり、最終的には全体に弊害を及ぼすことになったのである。分かり合えない人間、関係があることを最初から念頭に置いて行動していれば幾分か楽であった可能性もある。実際、片方が離れた後は滞りなく部の活動や話が進むようになっていたためだ。これを和解の道から目をそらしたただの諦念だと批判されてしまえばそれもまた正しいとも言えるが。不俱戴天と言うとあまりに尊大だが、結果的に自分にとっても相容れない存在が生まれてしまった。

また、先代や幹部の先輩方から勧められたと言えど、部長になるに際して自分が器でないことを常々自覚し煩悶してはいたため、人真似でもいい、なんとか「らしく」ふるまえるようにしようと考えた末に出会った本が『韓非子』であった。自分の読書は道楽として行っているという部分もあるが同時に、軽薄かつ浅学菲才なこの身を如何に人として相応になれるか、取り繕えるかという意味も含めた上での読書になっている。殊に今回の『韓非子』は後者の意図が強く意味を持っていた。

ここで読んでいる人で首をもたげる人もいるであろう。そう、読んでいたものの苦心することになったのだ。

 

ここで出てくるものが二つ目の学びである。頭では分かっていても行動できないことがあるということだ。直前に挙げた文「そもそも氷と炭は同じ器の中に長くはおれない。寒さと暑さは同時にやって来ることはない。雑反の学は、両立して治めるわけにゆかない。」を前々から読んで知ってはいた。しかし、きちんとその文のままに行動することができなかったのである。他にも、客観的に見て正しいと考えられる判断も、その当事者となりその場の状況や複雑な関係の間に挟まれてしまった途端、その正しい判断を下すことが難しく、遂には下すことができなかったということも度々あった。思いの外に現実というものは複雑怪奇かつ重々しい。そして、客観や本に書いている名文はあまりにも正しすぎる。頭ではこうすべきだと分かっているものがあり、それがどれだけ筋が通っていたとしても現実に当てはめようとした途端にたちまち歪んでしまうのだ。この両者の間で葛藤することもまたなかなかに苦しいものであった。韓非子もそうだが、他には例を挙げるのであればストア派の哲学*3などが良いだろう。あそこで述べられている強い自己を確立するという考え方は非常に立派なものである、自分自身読んでいて感銘を受けた。ただし、それを現実に当てはめることができるかは別である、私は自己の未熟さもありできなかった。強き理論を身に宿すには強き肉体が必要である。読書を重ねることで幾分か未熟な自分を改めることはできるが、根の部分まで変えることは私にとって難しかった。根を変えるには理論のみならず、現実での具体的な要素を伴う必要がある。私が敬愛する哲学者、ショーペンハウアーの著書である『読書について』では

 

人生を読書についやし、本から知識をくみとった人は、たくさんの旅行案内書をながめて、その土地に詳しくなった人のようなものだ。……これに対して、人生を考えることについやした人は、その土地に実際に住んでいたことがある人のようなものだ。──ショーペンハウアー『読書について』鈴木芳子訳 16頁 (光文社,2013)

 

と言っている。この他に同書でただ読書をすることのみに帰着する行いは他人の思考にただ乗りすることであるといった内容まで話を進めているが、ショーペンハウアーの言うこれらの話は正にその通りである。「百聞は一見に如かず」とよく言われるが、同様に「百文(この表記だと恐らく一般では昔の金の単位になると思うが、ここでは一つの文を一文、量の多い文で百文とする)は一見に如かず」とも言えるかもしれない。他人の話を聞くにせよ、活字を通して知るにせよ、自分で見る、経験することでしか得られないものは必ずある。場や空間の効用*4なども同じである。

偶にネットで挙がる言説として「自分の現実に満足している者は読書などを含めたエンタメ、作品に触れることがない、頼る必要がない」というものがあるが、ないと断言することはやや乱暴だが一理あるとも考えている。自分で様々な経験を積み重ね、そこから確立された自己を持ち、それを以って現実と真っ向から向かい合うことができるのであれば、必ずしもエンタメといった存在は必要にならない。無論、そういった人物も何も一人でその自己を確立したとは考え難く、他者や周りの環境によって確立されたという点では他のものに依拠しているとも言うことができるが、少なくとも書に頼らなくても生きていくことができる。反対に、そういった自己を確立することも出来ず読書といったものに明け暮れている人もいるであろう。どちらが危険かと問われれば、言うまでもなく後者である。先にも記した通り前者は必ずし書といった連れ立ちを必要としない。確かに、個というものは限界があり、個を確立したらしたでその個が周りを顧みない在り方、主観のみに依拠することになる可能性もある。そういった点で前者のような人間にも書といったもの、他人の言説や在り方を通じて客観を自己の在り方に取り入れるということは重要にはなってくることは間違いない。ただし、そのような行いも自己という土台があってこそ初めて意味をなすものである。つまり、後者は何が問題かというと自己無きところに如何に書や他人の意見といった客観を積み重ねようともそれは当然のことながら自己とは足り得ないということである。土台無きところに建物を打ち立てようとしてもそれは徒労に終わる。よしんば、多くのものに触れることで自己を取り繕うことで遠目に見て外観が立派に見えようとも、中身は伽藍洞である。砂上の楼閣にしかならない。何かあった時には忽ち崩れ去ってしまう。

和辻哲郎の『樹の根』風に言うのであれば、私で言う書、和辻で言う教養とは培養のようなものであり、根が無くてはならない。これを無くしていくら貴い肥料が吸収するところが無ければ何の役にも立たないということいったところになる。こういった意味でよく○冊読んだといった話題が読書をする上で挙がるが、正直なところそこまで大きな意味は果たさないと個人的には考えている。数よりも中身であり、そこに書いてあったことを深く理解した上で如何に自身に適応し、現実と結び付けられているかが重要になる。

有名な言葉として「言行一致」という言葉があるが、この言葉は簡潔に真理をついている。言ったことや書かれていることを一致させることができれば、それが一番なのである。この「言行一致」の一言さえ遵守することができれば、後は全てが結びついてくるため、一生向き合い続けなければならない言葉になると思われる。

ここで言う書に触れる行いとはいわゆる「学び」として行われるような読書のことであり、完全なエンタメとして触れるものは除外している。エンタメから学び取り、それが人生の指針足りうる人などもいるやもしれないが、そういった条件は省き、所謂余暇を楽しむものとして書と向き合う場合は上記のようなことは気にする必要が無いということは記しておく。

また、書を読むと知識がつく、頭が良くなると考えている人もいるかもしれないがこちらについても言葉を残す。この言説は正しい部分もあれば誤った部分もあるというのが私の考えである。もちろん分野にもよるかもしればいが、書に当たることのみで知識が着くとは言い難い。書に書いてある知識はいわば素材なようなもので、そこから己が知識を養うためには自分の思考を働かせてそれを加工しなければならないのである。知識をそのままに受け入れることはただの他人の受け売りであって自分の知識ではない。人は辞書ではなく、自分の思考でその意味と別のものをつなげたり、価値判断を下すことができるからこそ人なのである。何も、知識や意見をそのままに受け入れるなと言ってはいても、書に書いていることを度々頭で考えて反駁せよと言っているのではない。(慣れないうちはそこから思考し始めるのもよいかもしれないが。)賛成してその知識を是として身につけることも書に触れる上で重要である。ただし、自分で考えて理解する必要がある。

そして、私は書を読み進めている時、自分が今まで見えていなかった階段の先が現れるような感覚を覚えている。自分が考えもしなかったような見地が世にあること、それを筋道を立てて書に著した賢人がいたことを思い知るのだ。自分の知の足らなさをつくづく痛感する。この先に階段があることを知ることが知識だというのであれば、書に触れることで知識を得ることができるという一説にも頷くことができる。しかし、私は知識を得るためには先に階段があることを知るだけではなく、その階段を登る必要があると考える。そのため、先に記したような自分の思索を要するのだ。これはなかなかできるものではないが、できた暁にはその本を自分の内に宿すことになる。

一つ留意しておかなければならないこととしては、まず書かれている内容をきちんと受け止めた上で考える段階に入らなければならないということだ。SNSでは書かれていることのみを読むことがどれほどに難しいのかということを如実に表している無為な論争や事例の後が立たない。本を頼りに思考を涵養するために階段を登るにしても、認識を誤ったせいで登るつもりが底の見えない闇の方へ下ってしまったり、足を踏み外してしまったりしては目も当てられない。きちんと読む、進むべき道を見定める。そして考える。この当たり前のことを実践できるようになればどこまでも上り詰めることができるであろう。

ともかく、私は書といったものに触れた上でそこから自分で考えて何を見出すか、そしてそれをどう現実に結びつけるか、ということについて自身の経験を以ってその難しさを強く思い知ったのである。それでも、全く伽藍洞のままよりかは多少マシになるであろうと信じて、書に当たっている。

続いて、私の悪癖と言うべきか、何かあった際には自分の価値判断や時に今まで触れた書物を引っ張り出して考えてから行動するということが多いのだが、時にそれが現実から逃れうるものになってしまうことがあることも知った。これは、複雑な現実を受け止めきれないがために思考や所に逃げるという観点から批判されうる行為である。

シェイクスピアの『ハムレット』で、戦場に赴く兵士らを見るハムレットが発した言葉で以下のようなものがある。

 

「考えなどというものは、四分の一は知恵かもしれぬが、四分の三は臆病にすぎぬ──なんだって、俺は、これだけやらねばらなぬと言いながら、おめおめと生きているのだ。」──シェイクスピア『新訳 ハムレット河合祥一郎訳 第四幕 第四場 155頁(角川書店,2022)

 

これは亡き王から告げられた使命を全うしようにもいざ行うに際して苦心するハムレットが、死地へと勇敢に進軍する兵士と自身を照らし合わせて述べた言葉だ。『ハムレット』だと有名な名言で「生きるべきか、死ぬべきか(to be, or not to be)(前掲書98頁)」がよく挙げられるが、個人的には前者の引用したセリフの方がよっぽど私の胸に深く突き刺さった。確かに、考えというものは物事について行動を起こす上で重要なものとなる。思慮が伴った行動かそうでないかはその後に大きく影響を及ぼすことになる。しかし、考えて一定の答えを見つけているのにもかかわらず、それを直視せず、その物事から逃げ込むように思考を回すということもある。そうなってしまえば、本末転倒で思考は決断、行動を促すようなものではなく、それから逃れうるためだけの口実に成り下がってしまう。その意味で「考えは四分の一が知恵、四分の三は臆病」なのである。四分の一となると如何に目的からそれることなく、思考を実践するのが難しさを物語っている。自分の浅学菲才な部分もあり、現実と向き合う際に書などを頼りに推し進めていくことも少なくないが、メリットとデメリット両方あるということは忘れてはならない。

 

そして、最後となる三つ目の学びは「然るべき立場に就いた際は相応の動きが求められる」ということである。殊に組織の頭を張るということはその言葉の重みがこの上ないほどに重くのしかかってくる。

ある時、私がいない場でトラブルが起きた。このトラブルの問題は大きく二つに分けられるが、トラブルのきっかけは片方にの問題に依拠するもので、それは大学生によくあるような惚れた腫れたの恋愛に関するものであった。私は小学校の頃の自分の経験もあり、自他共に恋愛に関して首を突っ込むことはあまり好まない性質だったため、各々の自由意思に任せていたのだが、これがどうにもいけなかった。端的に言えば大学生の恋愛は私の想定を遥かに超えた軽薄さがあった。(私自身の恋愛観、恋愛経験があまりにも浅い、乏しいと言われれば閉口するしかないが。)その流れからある場での問題が浮上し、その場の集まりについて居もしない、話も聞いていない自分も部長という立場からかり出されることになったのだ。私は何も事情を知らないため、まず片っ端から話を聞き、状況把握に努めた。その後に事の次第を反省文として取りまとめ、私も何度行ったか分からないくらいに頭を下げ、できうる手を尽くして問題の終息に努めたといった流れになる。

あまり細かく記載しすぎるのもプライバシーなど色々と角が立ちかねないため、非常にあやふやとした話になってしまったがどうかご了承願いたい。とにかく、自分が一切関与していない場合にも組織で何かしら問題が起きたならば、トップはその責を負わなければならないことがあるということを学んだ。知らぬ存ぜぬは一切通用しないのである。理由のつけようは幾らでもあってその立場にいるということはもちろんのこと、その他普段の監督不足やトップが布く制度の甘さなどの観点から直接的な過失でなくとも必然的に刃は向いてくる。良くも悪くも組織と一蓮托生になるのはこういうことなのだと実感した。

他の者のミスに頭を下げるということを私は人生で初めて行うこととなった。ある意味、どこか自分の成長を感じた瞬間でもあった。というのも、今まで私自身青二才だったこともあり、できて自分のミスを自分で尻拭いすることが精いっぱいで他人の面倒を見るなんていうことはなかったためである。そのような人間がこういったことを行うようになるのだから驚きものである。何とも人の上に立つということは非常に難しいもので、複雑な人間関係に手を焼いたり、不祥事には対応が求められたりするのである。

 

長くなったが、三年の部活動の中ではこのような形になる。苦労話ばかり書いてしまったため、後ろ向きな感情のみしかなかったのかと言われるかもしれないが、それは違うということを明らかにしておきたい。むしろ、上記のような苦労がありつつも、なんとか部を取りまとめることができたのは私が部活という場が好きだったからに他ならない。部の活動はもちろんのこと飲み会や旅行といった楽しい思い出は幾つもある。私が日本酒やウイスキーなどやや酒にこだわりを持つ(悪く言えばうるさくなる)ようになり同学年の仲間内の幹部を始めとした他の部員らにもお酒の味というものを布教し始めたところ、大学生の飲み会という立場でありながら缶のお酒や紙パックのお酒だけではなく、何かしら一本くらいはそこそこのお酒が出るようになったのはお酒の布教が成功したのかあるいは恐らく気をまわしてくれていたのだろうと思う。これ一つに留まらないくらいに楽しいものや暖かいエピソードも話そうと思えば幾らでも出てくる。本当に良い部活であった。また、問題が起きた際にも私の力不足で迷惑をかけてしまったことにはなるがよく参加してくれて仲良くしてくれた部のメンバーらは、私についてきて、支えてくれた。そのような存在があったからこそこんな私でも曲がりなりにも役を全うできた。そもそもがコロナというものに振り回され、大学の部活動やサークルというものの存在が危うくなりかけているという外的要因に加えて我が部は複雑な内的要因も抱えていたわけだが、それでもなんとか次の代に部を引き渡すことができ、気づけばこの記事を書いている頃には私がタスキを託した代が引退し、二個下の代に活動の軸が移り変わっていた。感慨深いものである。私の三学年は部活という存在が多くを占めていた。

11月に部活から引退した後は就職活動に本格的に向き合うことになる。ただ、就職活動の話をし始めると四年の時にまで話が差し掛かるため、ここで一旦三年次の話は締めて、最後の学年へと話を進める。

 

 

 

大学四年(2023年4月ー現在)

大学四年の大きな壁は就職活動である。それと並ぶくらいに卒論と言う人もいるかもしれないが幸い私はこちらについては自分の好きなことを研究できていたために苦ではなかった。対して、就活は大いに苦労した。

 

まず、就職活動を行うに際して、所謂自己分析というものが必要になるわけだが、この時点で躓くことになる。私は元々何かやりたいという明確のビジョンを持って生きてきたわけではなかったためだ。ものの考え方や趣味嗜好といった細かい諸要素はまた異なるが、私の生き方は保守的、石橋を叩いて渡るという気質が必ずと言って良いほど付きまとっている。何かに強く拘りを持ったり、一つの物事に打ち込んだりといったこともなく様々なものに触れて、そこそこに楽しんだりこなしたりして満足するということが趣味にせよ何にせよ多くあった。それ故に遠くのことを考えても歩くべき一本の道のようなものも見当たらないため、ひとまず目の前にあることを第一に行う。自分にできるかぎりではあるが上を目指し、選択肢を狭めないということで人生という科目について及第点を得ていた。大学受験こそその筆頭である。元より頭がいいわけでもないため、大学に入るためにかなり身を粉にして勉強をした記憶はあるが、その時はどの勉強をしたいだとか必ず○○大学○○学部に入るという目的はなく、ひたすらに上に入れればと思っていた*5。幸い、自分にしては珍しく良い結果であり、更には運よくそこで学びたいものも出たため、結果論的に見れば大成功だったわけだが就職活動はそうも段取りよくは行かない。片っ端から有名な企業を受けるというやり方で失敗することは目に見えており、殊に新卒においては今後転職をするにしても関わってくる業界選びという存在が非常に重要になるためである。そして、業界選びをする上では自分が何をしたいのかということを問わなければならない。

 

就職活動の自己分析で難しいことは、自己分析と言いつつそれが「」付きの自己分析ということである。本当の自分をそのままに映し出すということはそれは所謂「自己分析」足り得ない。ここで言う自己分析とは社会に出る自分という意味を念頭に置いた上で自分探しを行わなければならない。社会に出るということはどのような意味を持つか。それは、他人や社会から見て必要とされるような自己であり、筋の通った自己であらなければならない。自身の長所やアピールポイントと今まで自分が考えてきたことや行動してきた経験、人生の軌跡を理論的に話すことが求められる。いわば、社会に求められるような「物語化」を行って、それに倣った自分になるのである。私自身未だに社会人ではないため定かではないものの、就職活動を筆頭とした一種の儀礼をこなし、働き続ける中で上に挙げたような自分、「社会人」になることができるのかもしれない。

 

これに対して、現実に存在している自分はどうであろうか。三年次の部活の話題の時に出した通り現実というものは複雑である。上記のようなキレイに筋道立てて話すことができる自己というものは本来成立しえないものである。人生において時の運というものも絡んでくることや自分の意思にしても常に瞭然たるものではなく、その場の雰囲気や気まぐれ、時に漠然とした意志に振り回されることも少なくない。こういった明晰に語りえないものをそぎ落として、必要に応じて自分の有用性を高く見せるために肉付けを行うのだ。よって、就職活動で求められる自分と本来の自分という二面性ができあがる。元より人は多面的なものによって構成されるため、就職活動の自分もそれにすぎないと割り切ってしまうことができればそれに越したことはないが、私はこの二つの合間で当時頭を抱えたものであった。そして、その就職活動での自分を暫く演じ続けることになるわけだが、これもまた精神的な負担を強いる。何故なら、気づけばそれに適応しつつある自分がいるためである。

言霊というものがある。やや神秘主義的な表現にはなってしまうが、嘘でも言葉にし続けていればそれは次第に妙な力を帯び始め、事実に近しいものになりうる場合がある。ESを書く度にそこに書いてある人間像があたかも本当のような自分に思え、それに基づいて面接官と会話する時にはESの内容の自分を演じているのである。特に、業界や会社を絞り切らずに就職活動に励んでいると○○の業界が持つ特徴や○○の会社の社風に合うような人物像を生み出そうとしてしまうと、もはや本来の自分という存在は大きくかけ離れることになる。ぼろが出ないように生み出した人物像を貫き通せればこれは有用な方法の一つとして認めることができるが、あまりにも膨大になると十二面相もびっくりなことになりかねない。性格診断などでこの会社の特徴や求める人物像を踏まえた上で回答するといった質問と向き合わずにメタ読みした回答を行ったことも何度かあったが、これもまた面倒なことで頭を悩ませた。

 

そもそも、前提としてこのようなことを考え始めたら負けであるという見方もあろう。大学の講義はそこそこに済まし、とにかく夜通し飲んで遊んでいた大学生が就職活動の時期になると一人前にスーツを着て面接に励み、大成功するという話はどこかで聞いたことがある有名な話ではある。このように余計なことは考えず、やるにしても素直に就職活動に関する自己分析を行い、そのままの通りに動けば良いはずなのだ。ただし、就職活動における自己分析だけではなく、自分とはどのようなものかという答え無き思索に現を抜かし始めると厄介なことになる。就職活動を行って内定を得るという明快なゴールが当初あったのにもかかわらず、自らその看板を下げて当てもなく迷宮に足を踏み入れるのである。ある意味で今までにないほどに自分と向き合った期間だということもできるかもしれないが、良し悪しである。

 

この時点で既に難儀している様子が見受けられるが、幸い、大学で学びたいものと出会うことができたことと連なる形で就職活動の指針も見つけることができた。ただし、答えが見つかったら見つかったでまた苦労することになる。採用人数が少ない、狭き門となる業界を第一志望としたためだ。結果的に言えばそこに入ることは叶わなかった。最終面接まで行ったところもあったが、そこの縁も実らず、手元にある内定が出た会社でひとまず就職活動を終えることとなった。

 

就職活動を行う上でよく「軸」と呼ばれるものがあるが、建前のものはともかく私が本当に重視していた軸は二つあった。仕事の内容と待遇である。前者は自分のやりたい仕事かどうかということである。第一志望の業界は自分の興味や趣味と関連しており、前者の軸に則った企業選びであった。後者は給与、休暇といった極めて分かりやすいものであり、こちらについては業界の絞りはあまり行っていない。

ここで就職活動を控えた人に不肖の身ながら助言をさせてもらうと、第一の軸はなるべく多様な業界に合致するものだと就職活動が楽になる糸口が見つかるかもしれない。というのも、やはり四方八方に所構わず受けに行くことは非効率的だが、絞り過ぎたら絞り過ぎたでリスクが高まるといった負の側面を持つ。また、自分が行きたいところを見定め、それに向かって懸命に努力することは非常に重要ではあるが、もしもダメだった場合に社会人になってからが辛くなる場合もある。どんなに企業研究やOB/OG訪問からインターンシップまで対策に対策を重ねて就職活動に臨んだとしても必ず受かるというものにはなりえない。(そもそも、この世に必ずというものがあるのだろうか。)いくら自分で万全を期したとて、相手側の会社の人事事情などとかみ合うことが無ければご縁なしとされてしまう。そのため、自分のやりたい仕事などについて二の矢、三の矢と別の選択肢に繋げられるようなものだと少々ではあるが、心の余裕ができるはずである。

何故このようなことを言うかというと私のやりたい仕事というのは第一志望の業界以外では極めて叶えにくいものだったためである。ただ、その業界の会社に入ることができなかったため、私は第一の軸は諦めることとなった。これが仮に、例の一つではあるが「海外で働きたい」といった多様な業界からアプローチを書けることができるような軸であれば私もやりたい仕事という軸を捨てずに済んだのかもしれない。重ね重ねにはなるが、ここでしかやれないものという事柄に挑戦するなと言っているわけではない。大学の後輩などにそういう人がいれば喜んで応援するであろう。ただし、容易な道のりではないということは伝えておかなければならない。

 

また、就職活動においては不採用の通知が届いた際の気持ちの持ちようという問題があるがこちらについても少々口うるさいかもしれないが自分なりの考え、助言を付す。先に説明したとおり、就職活動を行っている自分と普段の自分に乖離が生まれるというのは周知の事実である。これを利用して考えると不採用の判を押された自分は本当の自分ではなく作り上げた自分だということができる。何も、不採用通知が下されたからと言ってその人自身の価値が否定されたわけでは絶対にない。むしろ、相当長くても一時間、短いオンラインの面接だと15分のものなどあるが、それくらいの時間だけで人の全てを推し量るということは到底できないのである。であるからして、そこまで気落ちする必要はないということになる。ただし、これも所詮一つの考え方、論にすぎずこの考えに従って就職活動を続けることは厳しいことは私も分かっている。考えようによっては着飾りに着飾った自分でさえ否定されてしまうのであれば、今いる自分の存在は芥同然ではないかと思うこともあるであろう。私自身、不採用通知を受け取った際には荒れに荒れた。何か現実で荒れたという訳ではないが、落ちた結果を知った日の夜には決まってトッ〇バリュのストロングゼロの缶を開け始め、そこにジンを加えて自作爆弾酒を飲むという目も当てられない飲み方をした。ビール350mlを一缶飲んだだけでも少々赤くなるくらいの自分がそのような愚行をすればどうなるかは目に見えていたが、自身の肝臓と脳を傷めつけるように短時間で飲み続けていた。部活動で荒んだ時にもこの飲み方であった。そして、一通り飲んだ後は胸にたまった鬱憤をXにて垂れ流したのちに寝てしまうのである。できれば、お酒の味を楽しむ嗜み方をしたいものだが、もしこの飲み方を再度上げることがあったとするならば、何かあったのであろうと思って見逃していただければ幸いである。ただ、これもギリギリで危うい行いであることは認めなければならないが一つストレスの解消法として作用していたため、たとえ百害あったとしても一理くらいの効用はあった。なんにせよ、自分なりのストレス解消法を確立しておくこと、これは重要である。

 

話を戻してまとめに入る。

私の就職活動は第二の軸、待遇を判断材料として決めることとなった。やりたい仕事、第一の軸をしてることとなったと大それた言い方をしてしまったものの、所詮未だきちんと働いていない身でのイメージによる判断であることから、実際に働いてから何かやりがいなども見つけることができる可能性もないことはない、となるべく諦念の気持ちを抱かぬようにしてはいる。(はたまた絶望する可能性も無きにしも非ず)

 

終わったタイミングとしては私の誕生日である6/16だった模様。選考が早期化していく中にしては長く続けていた方だと言える。

 

 

就職活動を終えてからは残りは卒論ということで図書館に通ったり、常に就職活動のことが頭に張り付いて満足に過ごすことができなかった余暇を堪能したりと過ごしていた内に気づけば大学生活も残りわずかとなっていた。

8月には『蒼穹のファフナー』、『さくら、もゆ。-as the Night's, Reincarnation-』聖地巡礼を兼ねて尾道へ旅行に行き、10月には『いろとりどりのセカイ』聖地巡礼を兼ねて人生初の海外旅行となる台湾へ行った。

 

 

 

 

後は、その台湾旅行を行った数週間後、人生初手術となる鼠経ヘルニア(脱腸)の治療を行うべく入院をした。こちらについては手術前日の様子が「脱腸・入院・手術 - cheat_IEの雑録」という記事にて書かれている。今になって読み返してみると非常に元気なものであった、次の日から起こる術後の耐え難い痛みや眠れぬ夜などのことを全く感じさせない物言いの文である。術後のあまりの痛みに耐えかねて夜に麻酔を打ってもらい、意識を手放すことができたかと思いきや効果が一時間ほどしか持たず、再度痛みに悩まされながら目が覚めた時の絶望感と言ったら筆舌し難いものがある。加えて、一度麻酔を打つと時間を空けなければならないことから頼みの綱も無し、普段であれば床について深い眠りに入っているであろう深夜に一人で痛みに苛まれることはなかなかに辛いものがある。明確な原因もよく分からないものに足元を掬われて日常がこんなにもあっさりと奪い取られるものなのだという儚さや無情さを感じた。手術を終えて一月くらいの時間が経てばまた日常に還ることができるという点で世にある大病に比べれば蚊に刺されたくらいのものになるのかもしれないが、一日ベッドの上で身動きが取れず、我世界がそこで完結しているという有様は初めての経験であった。管に繋がれトイレにも行けない、窓から見える青空がひどく遠く感じられた。一日に200キロ漕ぐサイクリングなどといったそれなりの運動量をこなす日々もあった自分と手術中の自分との隔たりは大きなものであった。世間的な一般論的を鑑みればこれから齢を重ねていく度に手術経験の話など珍しいものでも無く、少々一足先にそれを経験することになったということもできるかもしれないが、少なくとももう二度とごめんである。

人の脆さや人生の危うさというもので連なる話として余談にはなるが、ロードバイクで山のダウンヒルを行っている最中に転げ落ちる経験をしたことも挙げられる。これについては私の落ち度もあるのだが、長い間下りでスピードの調整をするためにブレーキを握っていたところ、手が疲れ始め握力が無くなってしまったということが招いた事故であった。不幸中車が全く通らないような寂れた山道だったために単身の事故で済ませることができたことが不幸中の幸いである。どんどん加速していき制御が効かなくなっていく事実を前に、車体を横にずらして転げるという動作を身体が気づけばとっていた。自転車と私の身体は離れ、身体が山道の斜面を滑り落ちていった。止まった時に最初に感じたものは熱、そしてしばらくしてから痛みが襲ってくる。下手を打てば死にかねなかったシチュエーションだったため、大学生中の強烈な記憶の一つとして残っている。以来、サイクリングの下り坂では速度をあまり出せなくなってしまった。上記の二つ、原因もよく分からない症例のために手術をしたり、自分の不注意のせいもありあわや死にかけたりなどといった経験をしたことも大学生活における一つのエピソードとしてある。子どもの時から頭に傷を負い、出血した経験が三回あるなど怪我の経験は何度かしているが、自分の身の危うさというものに気づいたのは上記の出来事によってであった。今まで歩んできた人生の道が思いの外薄氷を履むが如しものであることを思い知った。

私だけではなく世にしてもそうである。コロナウイルスという未曽有の病が流行り、世界では大きな戦争が起こった。今年の頭には北陸で災害が起きるなどいった事態が起きている。もう少しクローズな話にして私の近づけた世の出来事として言えば、渋谷では車の暴走事故、刺傷沙汰が起きており、ここは私が大学生時代に日ごろ使っている場所であった。

 

久しぶりに、私を人文沼に本格的に引き込むきっかけとなった人物であるウィトゲンシュタインの言葉を借りよう。(すば日々にハマった当初、哲学について考える際にはスタートとしてかの人物の言葉を度々引用し、それに依拠していた)

 

6.41 世界の意味は、世界の外側にあるに違いない。世界では、すべてが、あるようにしてあり、すべてが起きるようにして起きる。世界の中には価値は存在しない……「起きることすべて」や「そうであることすべて」を偶然ではないものにするものは、世界のなかにはありえない。というのも、世界のなかにあるなら、それはそれで偶然であるのだろうから。「起きることすべて」や「そうであえることすべて」を偶然ではないものにするものは、世界の外側にあるにちがいない。

6.42 そういうわけで倫理の命題も存在することができない。

──ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』丘沢静也訳 140頁(光文社,2014)

 

世の中には自分の与り知れないものに振り回されること、それによって自身の在り方が容易に乱されてしまうことを痛感したわけだが、ウィトゲンシュタインにしてみればそんなことは当たり前なのである。それがこの世界の在りようだと言っている。彼の言い分としては世界の物事に対し、必然性を見出したり、責任の所在や原因を手繰ってもこの世界の内でそれを見出すことはできないのである。

似たようなことを言っていたものとして心理学者の河合隼雄は物事について人間はHowを問うことはできるが、Whyを問うことはできないと言っていた。例えば、事故が起きたことに対して、どのようにして起きた、その事故によってどのような傷害を被ったかは説明できるが、何故それに居合わせてしまったのかは説明できないのである。*6

繰り返しになるが、私の脱腸にしてもそうであった。脱腸のありうる要因は複数提示してくれたものの、そのいずれかが今回の手術の引き金となったのか、はたまた元より膜が薄く、破れやすい体質だったのか明確な原因は分からないため説明できないということだった。その症状に直面した私としては極めて不幸な体験であり、二度と再発しないことを切に祈るのみだが、ドライな見方をすれば特段珍しい症例でもなく普通にありうること、不幸なんて言葉を吐くにはあまりにも大げさ、いや先に挙げた天才の言葉に則るのであればそれはただの出来事であり幸も不幸もないということになる。

思うに、ウィトゲンシュタインは物事をそのままに受け止めるということに拘った人物なのであろう。先に記した認識論では人は事物をそのままに認めることはできないと言ったが、それさえを超克するような論を叩きつけたのだと言える。全ての物事をあたかも自然現象のように受け止める姿勢である。

ここまで議論を進めたが、私としての考え方としては恐らく世界の有り様を突き詰めるとウィトゲンシュタインのいうようなものになるという考え方は一理あると認める。しかしながら、私には理性には一種、避けがたい作用があるという認識論が根底となっている部分があるため、そのような世界の中にいたとしても人はどうしても価値判断を下さざるを得ないと考える。全てのものを現象としてのみ見つめていても、我々の(今の)人間社会が回すことは難しい。誰かしらがそれによって幸や不幸を感じ、また場合によっては限定的なもので便宜上だったとしても「原因」を明らかにし、責任を負わねばならない。そういったサイクルの中で生きている。

哲学的に考えるとどっちつかずな考え方で、いい加減なものかもしれないが、私は行き方としては上の考え方をとることにした。理不尽というものが降りかかってくるが、そういうものだと割り切りつつも、自分でどうにかしなければならない場合は落としどころ見つけて判断をする、対応をするということが必要になるのであろう。

 

現状としてはこのような感じである。

残すところ、二か月。残りは時間のあるうちに旅を行おうと思う。『Fate』の聖地である冬木(神戸)に高校一年生の初めての一人旅で行ったが、残された時間を使って再度訪れることにした。行く期間は京都・兵庫旅行ということで2/4ー2/9になる。第五次聖杯戦争の期間が目安としてアーチャーが召喚された日が1/31でギルガメッシュが倒された日が2/15であるため、ちょうど聖杯戦争が行われているとされる期間中に行くことになる。高校時代は受験休みの期間に行ったため、2016年の2/14に行っている。奇しくもここでも聖杯戦争終盤、最終日あたりに冬木(神戸)観光を行っている。

そして、三月には魔術協会総本山である時計塔、セイバーもといブリテン王の墓があるイギリスにも旅行へ行く。

自分の核が『Fate』という作品で成り立っていることを学生最後の行動の仕方からも痛感することになるとは・・・・・・つくづくオタクな自分。

そちらの方はまた余裕があれば記事にするかもしれない、余裕が無ければツイートで簡単に済ませてしまうかもしれないが。

一旦の所、今までを振り返るという内容はこれにて閉じる。

あとは大学時代に出会った友人らへの一言とまとめで終わりにする。

 

 

 

Special Thanks

 

友人へ

友人が去年までの大学生活を振り返るという投稿をInstagramにて行っており、そこでお世話になった人にメッセージを述べるといったことを行っていたため、私もその形式を真似させて頂くことにする。

今回ここにて挙げるのは大学生活の記事ということで大学生時代からであった友人に限定をする。もちろん小、中、高の中でも親しい友人とは大学生活でもお世話になり、酒を酌み交わしたり旅行に行ったりと思い出もあるのだが、今回は一人一人は挙げず、一つ先にここでまとめて感謝を述べる。大学になっても変わらず仲良くしてくれる友人らに感謝を。特に、大学になって自分の少々趣味嗜好が変わった部分もあるのだが、時折そんな話をしても嫌な顔一つせず聞いてくれることに常々ありがたいことだと思っている。年々昔の友人らとは疎遠になりつつあるため、今繋がっている縁を大切にしたい。社会人になっても仲良くしていただけると幸いです。

 

A氏

一学年の頃から今まで連絡を取り続けている貴重な友人。

同学部同学科ということやその他、芸術などにも関心が深いということで色々な部分で仲良くさせて頂いた。美術館や古書店巡りではお馴染みの仲間といったポジションであった。

A氏のすごいところはとにかく語学力の高さにある。中高時代をアメリカで過ごしたということもあり、英語力はもちろんのことその他中国と縁の深い友人がいるためか中国語の読み書きはでき、更には大学ではフランス語とラテン語を学んでいたが双方ともそれなりの知識をきちんと身につけているのだ。そして、それを就活でも遺憾なく活かし、アメリカの新聞社に入社するという輝かしい軌道へと進むことが決まっている。英語さえもままならない私とは大違いである。芸術鑑賞をしていて作品に外来語が記載されている時や古書店で海外の文献に当たっている時にさっと目を走らせて私に解説してくれるその姿には毎度舌を巻かされたものであった。よく大学という今までにないほどに広い環境に行くと様々な人に出会うことができる、運と縁に恵まれれば今までに見たこともないような類稀なる知を有する人と出会うこともできるという話をよく聞くが、そのような人物はA氏のことだと思う。私の大学生活は人の縁に恵まれている(部活のあれこれはあったものの全体で見れば間違いなくプラス)と常々思っているがその筆頭であるように思われる。

正直なところここまで連絡を取り続けて仲良くなるなんていうことは私もA氏も初対面の時には思いもしていなかったのではないだろうか。一年の時に初めて会ったと言っても入学して間もなく開かれた小規模な歓迎会のようなもので軽く話した程度であったし、その後はコロナに振り回されて学校に行くこともなかったためにコミュニケーションをとる機会は殆どなかった。何より、一学年の頃なんていうものは私が芸術を始めとした人文学の面白さに気づく前のことだったため私なんていう無教養な(今も依然として浅いものの)人間だったのである。そんな有様でA氏のような人間に近づけることができるはずもない、ある意味コロナで学校が行けない間に再度読書を始め、A氏と話すことができるような下地を構築することができたことは良かったかもしれない。

大学に入ってからというもの少し洒落た店などにも入るようになったが一番最初のきっかけを作ってくれた人はA氏である。A氏は爵位を持つ貴人が集まるようなパーティーに呼ばれるなどハイソサエティーな空間にも精通していることからそういった店にもアンテナを巡らせており詳しいのであろう。一人で喫茶店に行くにも大体はA氏に連れられて行った場所に行くことが多い(大学の近場だということもあるが)。A氏から影響を受けた者はかなりある。そこから受けたセンスをバー選びの際には自分なりに活かして店選びをするようになった。

私的な悩みを詳らかにするようなことはあまりなかったが、むしろそういった関係も貴重ではないかと思うようにもなった。この人といる時はそういったことを頭に置かず、お互いに学んでいる学問や興味のある領域について気兼ねなく語り合うことができるということはありがたいことである。一緒に時間を過ごしていて本当に楽しい友人の一人だ。ただ、社会人になればまた新たに何かと問題に直面することもあるであろう。もし仮に悩みなどがある場合、自分が役に立つことができるのならば相談役に喜んでなろう。

 

K氏

同じゼミの中で最も仲が良いであろう同級生の友人。

かなり頭の切れる人間で、恐らくゼミ随一の論客と言って差し支えないと思われる。私自身K氏から質問を投げかけられる時には手に汗を握らされることもしばしば。以前よりも丸くなった部分もあるが、生い立ちもあってか思想にもキレがある。資本主義や労働の制度について一石を投じるような内容の研究をK氏は行っていたがなかなか興味深いものである。時代が時代なら学生運動の渦中にいてもおかしくなかったと酒を飲んだ際に漏らした一言には思わず聞いていて私も笑みを漏らしてしまった。嘲笑ではなく心の底から、そうかもしれない、と得心が行ってしまった自分がいたために。

そんなK氏とは就活の部分で目指すところは違えど互いに難しい挑戦を行い、切磋琢磨し合った仲で会った。ESや面接での質疑応答について話し合い、策を練った回数などは数えきれない。私なんかは気骨に欠けるため、六月くらいで就活を終えるという選択肢を取ったが、K氏は前年度に内定を得てそこに行くつもりで就活をやめていたものの、やはりやりたい仕事をあきらめきれないということで再度5月末くらいに就職活動をし直すという決断をしたのである。お互いに就職活動の近況報告をし合った際にバトンタッチをするような形となった。惜しくもK氏も惨敗、元々前年度に内定が出ていた会社に行くことに落ち着いた。私がK氏に詫びなければならないことの一つとして、最後の就職活動の手伝いで私のエゴを重ねていたということがある。私はとうに就職活動に区切りをつけた人間ではあったものの、やりたい仕事という軸はどこか私の心の中で燻っていたところがあった。その矢先にK氏が再度やりたい仕事という軸に挑戦するという話を聞いたため、彼の思いに自分がかなえられなかった願いを委ねるという部分があったのだ。だからこそ、私も彼の就活の相談には積極的に臨んだし、私の持ちうるものも出す限り出したように思われる。K氏もやるだけやって満足がいったと言い、私にも感謝の言葉をかけてくれた。私の胸中がどうであれ、協力してくれたことには変わりないのだからと言う人もいるかもしれないが、私が選ぶことができなかったものを、そこにわだかまりとして残っていたエゴを彼に預けようとしてしまったことを一つ謝らせてほしい。カント風に言うなれば、私はK氏を目的として正当に扱うことができず、手段として扱ってしまった、そういうことになるのであろう。確か、私の行きつけのバーに行った時にこの思いを漏らしてしまった時があったと思うが、K氏はそこまで気にしていなかったと思う、自分もこれきりにしよう。結局のところ、お互いに第一の軸を捨てることになったわけだが、同じ流れでバーで飲んでいた際にK氏の「仕事でなくとも、自分の興味のあることは今こうやって語り合うことができている。それでいいと思うことにした」という君の一言には私自身救われている。やりたいという軸を以って真っ向から挑戦した他ならぬK氏から出た言葉にはそれほどの重みがあった。

その他にも、何故生きるか、生の煩雑さ、仕事とどう向き合っていくかなどざっくばらんに話をした記憶がある。K氏と話していると彼の頭の回転の速さに疑似的に相乗りすることができるため、上のような答えを出せずに堂々巡りをしているトピックに関してもふとした瞬間に自分なりの答えを導き出すことができることも少なくない。見識の深い人や頭のいい人と話すと自分の目が開かれるという話もよくあるとは思うが、上のような事例がそういうことなのかもしれない。

きっかけとしてはK氏から相談を持ち掛けられて私がその問いに回答するという形式が多いけれども、相談に乗りながら自分が救われていることが本当に多いのである。K氏は自身のことを精神年齢が低いと言い、それに対し、私のことを精神年齢が高いと言って頼ってくれるが、実際の中身はこんなものである(ブログの中で言うと今までにないほど自分の素を今回出していると思われる。)

今後も何かあった時にはもしかしたら話す事があるかもしれない、今後ともよろしく。K氏はかなり煙草をのむが、K氏と会う時くらいは自分も付き合ってもいい、そう思っている。

 

Y氏

他学部の後輩、X(旧Twitter)で知り合った、まさかのエ▢ゲーマー。

イメージ的に私の大学はオタクは少なめ、エ▢ゲーマなんてもっての外と思っていたところまさか同好の士が見つかるとは思わず初めて連絡が来た時には大興奮だった。お互いに好きな作品を紹介し合ったり、コミケの代行を頼んだりとお世話になった。

哲学的なことにも関心があり、恐らく自分の友人らの中でも最も硬派に、アカデミアに根差しながら哲学と向き合っている人だと思う。所詮ディレッタンティズムペダンチックの域を出ない私とは大違いだ。Y氏は分析哲学プラグマティズムといった大陸哲学、アカデミックな場で人気のある比較的新しめな哲学的な分野について深く学んでいることが良い例であろう。また、他大の研究者フォーラムを聴講しているところからもその真面目に打ち込む姿勢が伺える。就職ではない道、私は選びえなかった選択肢をも見出そうとするその姿には憧憬の念さえ抱いてしまう。どうか頑張って欲しい。次に記す、S氏と出会わせてくれたきっかけもY氏であるため、そこも感謝しなければならない。

 

S氏

Y氏と同様一個下の友人、同じくエ▢ゲーマー。そして何より自分が大学時代知り合った仲で最も質の高い酒飲み。

二十歳になってからというもの、日本酒好きで旅行に行け津々浦々の酒造をめぐっていたということは知っていた。そこに私が抽選で購入権を獲得したウイスキーである「響 blossom harmony 2023」を勧めて飲んでもらったところウイスキーにまでハマらせてしまった。家にお邪魔した際には家のそこかしこに絵画や花瓶といったものが飾られていることから分かるように美や食に関するセンスがかなり高く、酒においてもそれが遺憾なく発揮されている。サントリーやニッカといった代表的なものをはじめ、その他イチローズ、駒ケ岳、長濱、三郎丸・・・といった新興蒸留所の味までとジャパニーズウイスキーについてある程度傾向を把握できたのもS氏の手持ちのお酒コレクションのご相伴にあずからせてもらったためである。正直なところ、完全に抜かされている。それを実感したエピソードの一つとして、私が好きな日本酒の中でトップを張ると言っても過言ではない秋鹿という日本酒があるのだが、これはS氏の紹介によって出会うことができた酒である。そして何よりギャップとして驚かされるのが、S氏はめっぽう酒に弱いことである。私もそこまで強い方ではないが、そんな私よりも弱い。日本酒で言うのであれば私は3合目に手を付けて半分くらい飲んだあたりで恐らく限界が来るのだが、S氏は一合飲み切れば御の字といった塩梅である。そのため、日本酒を開けて中身が余った際には毎度土産として頂いてしまうことが恒例となっている。そして、私に手渡したお酒が当ブログで取り上げられることを心待ちにしているということも聞いたため、いずれ何かしらを取り上げたいとは思っている。

どうやら、酒の道を本気で邁進することを決めたようで最近は就職活動についてもそちらの軸を以って進めているという話を聞いた。自分が高校時代に出会った絵描きの先生方もそうだが、大学で出会った友人たちもきちんと自分のやりたいことや軸に則って行動できていることは尊敬する他ない。どうか、頑張って欲しい。

私は基本的にそういった方々と関わらせてもらう中で、その人たちの類稀なる才の一端に触れて、盗見したものの一部を自分の中に取り込むのみである。自惚れ極まりないことではあるが、私は人の縁は恵まれているため、引き出しは多い方だとは思う。ただし、あくまで一端を見た程度で、先の話で言えば本を読んでその人の一部に触れたことと似たところに留まるため私という人間に深みはない。生の経験を通して構築された立派な友人らには到底及ばない。

同様に、今まで書いてきた友人にしてもそうだがS氏も得意とする分野があり、彼は日本思想や東洋の宗教についての理解が厚いところも私は尊敬している。彼が勧めてくれた本である世阿弥風姿花伝・花鏡』小西甚一訳(たちばな出版,2021) は私の卒論の結論を出す一つの土台として寄与してくれた。大学の講義を学んでいてもどうしても西洋のものが多く、東洋について学ぼうとしようものならその名を冠した講義をきちんと取らなければならないといった風になるため、S氏と会わなければそこまで熱心に目を向けることもなかったようにも思える。どの友人にしてもそうだが、私が自分なりの思想を養い、卒論という一つのものを形作ることができたのはもちろん読書という存在もあるが、それと同じくらいに皆のような私なんかよりも遥かに卓越した知恵を持つ友人らと関わることができたためである。常々感謝している。

 

自分の在り方を踏まえた周りや作品への感謝

上記の四人以外にも最初に簡単ではあるが挙げた幼い頃からの付き合いの友人、小中高、そして大学では部活やゼミ、その他個人的な友人からネ友まで、多くの人たちに良くしてもらって今の私がいる。つらつらと書いている文から察しがついている人もいるかもしれないが、私は自分という存在に対して自己肯定感も高くはないし、それこそ周りの友人たちと比べれば大変些末な人間であると思っている。にも拘らず、私と関わる人は私に温かい声をかけてくれ、仲良くしてくれる。自分単体と向き合って自分を認めることは難しいが、自分が大事に思う、尊敬している周りの人々が肯定している自分くらいは認めることができるのである。(そうでなければ周りの人の温かさに顔向けできない。そういったかけがえのない人たちの思いを無下にできるほど自分は)先に記したショーペンハウアー厭世観にを受け止めた上で、かろうじてではあるが、生を肯定する糸口を見つけることができたのはここにある。本当に精神の深い部分で苦しみ、日々患っている人からすれば私の苦悩など些事であることは言うまでもないが、どこか時折にじり寄って来る希死念慮にも似た、終末的でもある曖昧な思い*7から私は抜け出すことができる。ここまで色々な人のお世話になり、良くしてもらった手前、それを蔑ろにすることだけはできない。

いくら、進歩主義的な考え方で物事を推し進めようとしても、この世には限界がある。より、具体的に言うなれば資源の限界がある。その資源の限界や目の前にある枯渇した状況に直面している人が少なくないのに対して、幸運にも私はこの22年生きるにあたって様々なものを享受しながらここまで生きて、成長することができた。

であるならば、私にはそれを還元する義務があると考える。私のような存在にここまで良くしてくれたことへ無為にすごすわけにはいかない。

つまり、その恩を私に良くしてくれた人たちあるいは私の後ろに続く輝かしい希望や可能性を持つ者達に提供しなければならない。*8私は元より大した人間ではないため、世のため人のため、万人がより良く過ごせるように、といった大それたことは口が裂けても言うことはできない。せめて、自分が関わる人たち、周りだけでもそうあってほしいと思っている。私が周りによって生かされているために。可能であれば私が受けたもの以上を出すことができればベストだが、せめてプラスまでいかなくとも、貰った分は返したいという思いが底にある。

上記のものは所謂○○しなければならないという命題に従って生きるという義務論じみた考え方であり、これは生きる上で普遍性を持つようなものではないと考えている。つまるところ、私のエゴである。私は幸いにも恵まれ、今まで貰った分があるためにこの姿勢を持つことができたがそうでない場合も往々にしてあるだろう。元より私自身も義務論なんてものは酷く窮屈な考え方で、(時に制限が必要であることは言うまでもないが)各個人の自由意志に則って生きることが望ましいであろうと考えていた。カントを例として挙げると、流石近代哲学の巨匠と言うべきか、興味深い理論を多く残している。手段と目的という人との向き合い方や生存における義務論、世界平和など、どれも理論的には面白いが、どれも自分の人生観に当てはめるにはあまりにも壮大すぎる。これを遵守できるほど私は強くはない。カントの理論を筆頭に、義務論的な立場に懐疑的であったが、気づけば私という主体に留まるものではあるが、自分なりの義務論というものが内に構築されており、これに突き動かされているということに最近気が付いた。

私は他の人に支えられて生きている、しかしこれは私自身の内のみでは答えを出しきれないために、答えを出す上で他人に転嫁しているのではないかと時折悩むこともある。強き理論の一つとして先ほど私はストア派を提示したが、あそこには他者によって左右されることのない、一人の人間としての確立を説いた理論があった。それに照らすのであれば、私の在り方は逆のものとなる。できれば、ストア派のような強い在り方を見出したいものだが、それはまだ難しそうだ。

 

また、先では『ブルーアーカイブ』を挙げていたが、それっは同時進行でちょうど触れていて並行して考える際に合っていたからになる。その他、根底の部分で何があったかというとやはり『Fate』(有限会社ノーツのゲームブランドである「TYPE-MOON」が作る作品のシリーズ名。特にここではそのシリーズの中でもエ▢ゲーを原作とし、今ではアニメ化や映画化といった大躍進を果たして人気作となった『Fate/stay night』について言及する。であろう。『Fate』のテーマは「人類賛歌」であると言われることがあるが、そんな作品を自分の中で一番の作品としてしまったら、人類の中の一人である自分についても賛歌とまではいかなくても前向きな姿勢を持つことになる。肯定することの勇気を与えてくれたのである。『Fate』という一番の作品の中での更に突き詰めた一番、私の指針はやはり「イリヤスフィール×バーサーカー」の存在である。アインツベルン家の重荷をあの小さな体躯で背負いながらも一生懸命にそれと向き合い、HFの最後では自分の大切な存在の為に身まで擲つその在り方。そして、そんなイリヤを支えるために、どんな敵にも臆さず向かい、12の試練をもって何度も立ち上がるバーサーカーは正に英雄の有様。これらを見て私は心を強く突き動かされた。特に映画『Fate/stay night [Heven's feel]』における二章のバーサーカーvsセイバー戦や三章のイリヤの天の衣の姿は何度見ても涙が頬を濡らしてしまう。そして、見る度に自分の身に翻って、叱咤激励されるのである。

なお、プリズマイリヤイリヤで好きではあるがSNとはまた異なる向き合い方をしていてそこから受ける効用も異なる。

 

基本的に私の根は弱弱しいため、周りの人や読書を含めた作品といったものを通じて、それらを「内面化」することで今までの人生を過ごしてきた。経験と結びつけることで真価を発揮すると先ほど言ったが、それでも全くそういったものに触れず内面化が無いよりかは幾分かはマシであろうと思い、この営みを続けている。これは恐らく変わらないであろう。

アリストテレスの『詩学』においても悲劇は人の行為、思想といったものをの表れであり、人生の再現(ミメーシス)とも言いうるものであるといった内容が書かれていた。そういった作品に触れることで人はあわれみやおそれといった感情を喚起させ、それはカタルシスへと昇華されることを目的とされているとアリストテレスは唱えているが、このアリストテレスの意見を受けて、後にストア派的な潮流を合わせて生み出された考え方に私は共感している。それは、現実をどう生きるべきかという問いに対してその現実や人生の現身とも言える作品から一つの答えを学び取ろうという考え方である。私はこの行いを作品を「内面化する」とよく表現している。作品に出てくる登場人物らは作品という世界において様々な状況に配置され、その中でものを考え、行動し、生き抜いている。その有様から今を生きる自身と照らし合わせて、至らぬ部分を悔い改めるのである。

それの行いの筆頭として挙げられる作品が私にとって『Fate』なのである。

 

余談にはなるが、私は最近イギリス旅行を行うということもあって『ロード・エルメロイ二世の事件簿』のアニメ版を見た。

 

 

師であるケイネスの死亡とライダーとの別離といった経験をすることになった第四次聖杯戦争を終えたウェイバー・ベルベットがロード・エルメロイ二世として活躍する話である。私は第四次聖杯戦争の『Fate/Zero』が好きで、ウェイバーもかなり気に入っていた人物であったため、彼が大人になった話は興味深いものであった。

私が胸を打たれたのは13話、最終話の終盤にて描かれるライダーと大人になったウェイバーが泡沫の夢で語り合うシーンだ。ウェイバーは第四次聖杯戦争で主であるライダーが敗退したことに悔いが残っており、また彼と出会いたいという念を抱いていた。しかし、サーヴァントは聖杯戦争での記憶を基本的に引き継げないため、それはライダーには関係のない出来事で、ウェイバーのみが過去に心残りを持っているということを意味する。過去のしがらみと現実での責務との間に暫く揺れる日々が続いていた。そんな時に眠りに誘われ、現実での意識を手放すとウェイバーの脳内でライダーと再会を果たすことになったところが今から話す内容である。

 

ライダー

「どうした坊主。こっちに来んのか。」

(中略)

ウェイバー

聖杯戦争が終わっても人生は続くんだ、馬鹿馬鹿しいくらいにな。私はあれから少しは変わったのかもしれない。何も変わっちゃいないのかもしれない。ただ一つだけ言えるのは、まだ僕は、お前の隣に並ぶことはできないってことだ。なぜなら、その道行きの苦しみも、その果ての栄誉も、現実で得るべきものだから。ここではない、私の、ロードエルメロイ二世の戦場で。」

ライダー

「そうか、では泡沫の夢たるこの余が、あえて問おう。楽しかったか、ここまでの旅は。」

ウェイバー

「あぁ、当たり前だ、ライダー。お前の背中を追う旅なんだから。」

──アニメ『ロードエルメロイ二世の事件簿』13話 19:30-21:20あたり

 

ここで私はウェイバーの成長をひしひしと感じていた。恐らく、『Fate/Zero』の頃の彼であれば、自分の戦場を見極めてそこで戦い続けるなんていう選択肢は取らなかったであろうと類冊できるためである。『Fate/Zero』では自分の実力を認めて貰えない魔術協会という場を離れ、あまつさえ師の聖遺物を奪って聖杯戦争に挑むという暴挙を果たした。自分の欲求を叶えるために魔術師学生としての本分を忘れて、魔術師として名乗りを上げるためとはいえ、身を弁えずに飛び級試験に挑むようなものである。最終的にはサーヴァントに恵まれ、生き残ることができたわけだがそれは結果論である。

これはウェイバー自身も実感していたことで、度々『ロードエルメロイ二世の事件簿』では聖杯戦争について尋ねられた際に「自分はそこにいただけだ、何も為していない。」という言葉を残している。

そんなウェイバーが自分の行いに責任を取り、エルメロイ教室を開いて奮闘する姿を見ていると込み上げてくるものがある。その上で、上記の会話での決意表明ときた。

憧れそのものであるライダーに誘われ、共に歩む道を誘われたとしても自分が今いる、正当な道を歩んで追いつこうというその意志は天晴れ。自分のやりたいこととというエゴ的な部分とやらねばならないことというものを区別し、行動できるようになっているのが『Fate/Zero』との大きな違いだ。

また、聖杯戦争が終わろうとも人生は続く、自身がこと切れない限りできることをやり続けるという姿勢はライダーが最期に命じた「生きよ。」という命令に従い続けている忠臣そのものである。生徒たちからも好かれ、それと同時に数多の責任を抱えているが故に自分の居場所があるということを自覚し、そこで戦うと明言しているのだ。魔術的な才には限界があり、根の部分ではあの頃のウェイバーと変わらないところもあるということを踏まえると、よりひたむきに努力し続けていることが分かる。

 

自分も、就職活動を終え、行き着く居場所はいったん決まったわけで、やりたいこととやらなければらないことというものに一定の線引きを行う必要がある。

自分にとってどんなに大きな出来事──それが幸せなものであれ辛いものであれ──があろうとも、その出来事のみで全てが終わるということは滅多にない。基本的に良かろうと悪かろうとその後が続いていくのである。仮に、全て終わる出来事があるとすれば死、それのみである。よって道を歩み続けることが求められる、いや、自分が仮に歩もうとしなくとも周りが勝手に進んでいく。その流れの中に自分は残酷にも居続けなければならないのである。私の好きな作品の一つである『ローゼンメイデン』の真紅というキャラは「闘うことって生きることでしょう?」もそのことを言い表した一つの言葉である。

色々と振り返っては見たが、大学生活だけでもこれだけ様々なことがあったのだ。この先の人生は尚更なのであろう。どこか人生の道行きに迷った際には、先ほどの問答を思い出すことにする。

 

『ロードエルメロイ二世の事件簿』のサントラに入っているブックレットで梶浦由記さんとのインタビュー特集が載っていた。そこの最後に「梶浦さんは数多くのTYPE-MOON作品に携わられていますが、作品世界に共通する魅力として意識されていることはありますか?」という問いに次のよううに回答していた。

「読了後の満足感が高く、読者を楽しませてくれる力が強い。ものすごうハッピーエンドではないが、結末を見るとなんだか清々しい気持ちになる。物語を通してカタルシスが得られる。無駄なんだけど無駄じゃなかった。他の人には無駄に思えるかもしれなくても、たった一つその人の叶えたいことは叶った、といった救いが残されている。(要約)」

 

確かに、その通りかもしれない。大学生になり、より幅広い作品に触れるようにもなったが、変わらずTYPE-MOON作品が私の中で一番のものとして輝き続けている大きな理由は梶浦さんが仰っている要素が強い。内面化についても一番相性が良く、前向きになることができるというのも型月作品固有の幸不幸の描き方によるものなのだと思われる。完全なハッピーエンドではないところに妙がある。そこに至るまで数多の苦難や不幸、時に残酷な現実や死に直面することにもなるが、最後の最後に一つ見えてくるものがある。そういうものを志願し続けて生きていくことに価値を感じているのであろう。

 

こう考えると人は皆ギャンブラーと言うことができそうだ。少々乱暴な物言いのため、もう少し丁寧な言い回しをするのであれば、生きるためにはギャンブラー的資質を持っておくべきである。厳しい現実があったとしても何かしら縋れるような希望があると信じて歩み続けている。私は古くから仲良くしているとあるネ友との付き合いでパチスロを何度かやったことがあるが、あれと似たようなものかもしれない。確定演出を夢見て指をボタンに滑らせていく。厳しい確率的な数値があったとしても打つ手を止めない。隣がどうかは知らない。ただ、今、私が目の前に向き合っている機体はそれを出すと信じて興じ続ける。そこには一種、愚かさがあるだろう。特に、遊び程度と割り切って興じるならばまだしも、身を窶すほどにしては目も当てられない。ただし、人生を生き延びる上ではその愚かさも才能であり、持っていないよりか幾分か楽に生きることができるのは間違いない。簡単に言えば楽観主義である。現実には辛いことが度々起きる。殊にXを筆頭としたSNSにはその現実の辛さを肥溜めのように吐き捨てた厭世観や諦念が蠢いているように思われる。(私の気質もあり、私のおすすめのTLがその手のものに侵されている可能性も否めないが。)あまりに賢しい人はこれらを真面目に受け止めすぎて、絶望してしまう恐れがある。私は到底賢しいなんて言葉を当てはめられる人間ではないことは言うまでもないが、かといって楽観的かと言われるとそうでもない。就活の話題の際に「石橋を叩いて渡る」といった言葉を用いたようにこのギャンブラー的資質に欠けている。欠けているからこそこのような記事が書けているのだと思われる。

 

人には希望が必要である。

よくある話題ではあるがSNSなどによって本来生きていて自分と関わるべくもない、見えないはずの遥か上の層があることを知り、自分が如何に矮小たるかを突きつけられるが故に今の厭世観は生まれた。また、世には限界があり、どんなものであれ進歩主義のみでは立ち行かなくなっているという閉塞感があるが故に今の人は苦しんでいることが多い。私もその毒素にも似た言説が身に浸透していることは認めなければならない。人にはどうやらプロスペクト理論保有効果といったものがあるようで何かを得る喜びよりも損や今手元にある物を失うことを非常に恐れるという心理があるらしい。正直なところ、今の世(ないし少し前の世)は人類史を通してみると恵まれた状態であろう。先人たちが苦しい中でも向上心を持って積み上げてきたものがあるためである。しかし、現在天井が見えてきたとなると今度は下り坂、失うフェーズへと入ることになる。そして、この流れをひどく忌避する感情が人間にあることが先の後ろ向きの考えに拍車をかけるのであろう。今が良い状態であることはいいが、それが揺らいでいる今に堪えがたいということになる。これは非常に重要な問題である。

私は自身のみではこの問題と向き合うに際して十分に尽くせないがために、作品から対応策を見出そうとしている。

 

何の話をしていたか、ギャンブラーと言うセンセーショナルな言葉を用いたことで途端に堅い内容から砕けた論調になってしまったが、結論として言いたいことは同じである。TYPE-MOON作品にせよ何にせよ、様々な作品の根幹となる部分に根付いているもの、古来から大事にされてきた考え方を忘れてはならない。

 

「待て、しかして希望せよ。」*9

 

 

 

終わりに

色々と書いていたら思いの外長い文章になってしまった。今までのブログの中でも3万文字代に至ったことはなく、今回は五万字近い記事ということで過去最長記録となる。(この記事の次に文字数が多いものは恐らく穢翼のユースティア 感想 - cheat_IEの雑録の記事の22000文字)

 

キーワードとして並べるのであれば「部活」、「エ▢ゲ」、「酒」、「人文」あたりが当てはまるのかもしれない。

いずれにせよ、悪くない大学生活であった。コロナという大きな弊害もあったわけだが、閉じこもっていた時間もうまく活用することができたと思う。部活、ゼミをはじめとした同学部の人、ネットといったように複数のコミュニティでのびのびと過ごすことができた。

 

その他大学生定番のキーワードと言えばバイトや恋愛が出てくるであろう。

 

バイトは記録として取りまとめるほどの大きな話もない。人間関係は特に深めることもなく平坦で問題も無し。大学一年生から大学四年生までと同じ場所で塾講師として働いていたというだけになる。印象深い個々の生徒との授業での思い出ややり取り、私なりのものを教えることについての拘りや考え方といったものも書こうとすれば書けるが、書いているうちに深く込み入ったところまで気づかず書いてしまい、コンプラに触れてしまった、なんてことになっては目も当てられないためここでは記さない。

 

恋愛に関してはまあ少しは起伏に富んだ出来事もあり、話をしようとすればできないこともないが、私は恋愛について話を聞くのも話すのもそこまで得意ではないためここでは割愛させて頂く。どうしても聞きたいと言う人がいれば私をお酒に誘って問いただしてみて欲しい、気分が良ければ口を開くであろう。

 

いざ書いてみると話が多岐に渡り、その上私がとりとめもない考えを展開していくため長々とした記事になってしまった。書き始めたのは卒論が一通り終わった頃、一月下旬あたりだったと思うが、他のことにも時間を割いていたおかげで執筆を始めた時から書き終えるまで時間がかかってしまった。それ故、一気に頭から終わりまで流れに沿って書いていくのではなく、その都度書き足すといったことまで行ってしまったため、読みにくい文となってしまったかもしれない。酒を飲んだ勢いで書いた部分もあり、体裁を気にして書き上げる記事とは異なり、Xでの愚痴的な内容も入ってきているため色々な意味で私の素が出ている内容もある。いや、正直なところ書きすぎてしまったと思い、今更ながら後悔もしている。これは恐らく人様に見せるようなものでもない。ただ、今まで書いた文を見返すと間違いなく一連の文に私という存在が浮き出ているということが自分で見ても感じられる。

大学の始まりから終わりという道筋に従って振り返りつつも、私が日々考えていることについて断片的ではあるものの記した(記してしまった)。

ただ、この記事を多くの人が読むとはとても思えないため、良くも悪くも必要以上に心配する必要はないであろう。(ここにおいても私のエゴイスティックな部分や自嘲癖が見え隠れしている

社会に本格的に出るという意味で、就活の時以上に上記のような気質も含め自身の在り方を律さなければならなくなるかもしれない。その意味もあってこの記事にて学生である私が今考えられることを書かせてもらった。一つ、自分の中で区切りを設けるという意味でも。

 

ここまで読んだ方は文から読み取り、ご察しがついているであろうと思うが、私は偏屈で、お世辞にも立派と言えるような精神性を持った人間ではないことはお分かりいただけたと思う。ただし、こう自分で「だめだ、だめだ。」と言いつつも、真に堕落しきる勇気も持ち合わせていないのである。『Fate』といった作品のおかげで前を向けているという正攻法で努力しているところもあれば、はたまた、堕落しきる方面で筋を通すこともできないという中途半端さ、臆病さがあるという負の側面もあって、結果的に物事に取り組んでいるところもあるのである。

私は日本文学で言うと太宰治が最も好きな作家だが、その太宰と同じ作風の部類、無頼派に属する著名な人物として坂口安吾という人物がいる、私の上記の負の側面性を見事に表している文があるため、最後の引用として載せたい。

 

人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。──坂口安吾『堕落論』(青空文庫)

 

シェイクスピアのところでは物思いに耽って現実から逃れるという明白な負の要素としての臆病さを語ったが、安吾の臆病さはある意味生きる上では薬となるような臆病さである。苦難から逃れるために堕落から這い上がり、生き延びるということは一つの生存戦略である。どうやら私もその生存本能に駆られて自分という存在の無力さ、未熟さを痛感しつつも足掻き続けているらしい。堕落から真っ向から向き合い続け、堕ち抜いて破滅するということはある意味筋が通っており、容易にできる業ではない。「人生のレールから外れる」という言葉があるが、私は幼い頃よりこの言葉に対し恐れを抱いていたように思える。目的もなく目の前のことに取り組み続けていたのも、恐らく自覚がないままにその言葉に忌避感を持っていたことが一つの行動原理となっていた。大学受験で言えば、浪人だけはしないよう努めて勉強した、就活にしても一回きりで終わらせられるようにした。リスクや苦痛を伴う身の丈を超えた高望みはせず、今自分の現状からできうるものの内で努力し、その結果を享受してきた。何も、ここで浪人や入る場所が無いことに対し、批判をしているのではない。自分にも浪人をした友人は何人もいるし、この行いはレールを外れるなんて大それた言葉を使うほどでもないことを承知している。時に所謂「レール」から外れたおかげで、通常のレールを歩いていては到底手が届かなかったであろう、本当に自分の叶えたいものに行き着くことができた人だっている。しかし、私に関して言えばこれらの行いさえすることができなかった。リスクや苦難に対し、人一番に敏感で臆病である。堕落論には金言が詰め込まれている。陳腐な言葉にはなるがこの臆病さもその時々で正にも負にもなる。

そういった意味もあり、私は堕落という筋を貫き破綻しきった『人間失格』という作品、ひいてはその作者である太宰治を好んでいるのだが、これを語るとまた脱線することになるので割愛する。

 

いい加減長くなりすぎているため、まとめに入る。

 

哲学などでも鉄板のテーマであり、その他最近では有名人が売れた際に一番最初に出すテーマ、一種啓発じみた人生論のような物言いをしている部分もあったと思われる。これが現状、齢22歳にして書けるものである。この程度の歳で人生観を語るのは身を弁えていないと自分でも思う。基本的にXの投稿にしてもそうだが、後日自分の語りを読み返すと、往々にして頭を抱えたくなるような、恥を晒した気分になる。黒歴史を体現したようなものなのだ。そういった意味で、恐らくこの記事もその部類に仲間入りするもの、過去一番の出来栄えになるであろう(悪い意味で)。

しかし、ある意味、自分の文を読み返した際に、批判的に読み解くことができるようになるというには成長でもあるため、社会人として更に広い世界に立って自分で生き抜く中で、この記事を反駁できるような在り方をぜひ身につけてもらいたいと思っている。特に、他人に依拠することのない、生身の体一つ、自分自身のみで、全身全霊で生を肯定することができるようになったらどんなに幸せなことであろう。

 

ひとまず、長くなったがこんなところで締めることにする。

当記事をここまで読んで下さった方、いらっしゃいましたらありがとうございました。

*1:書き始めた当初は先日であった、つまり本格的に冬の寒さが身に染みてくる一月の初めの頃であった。今、全てを書き終えて上げる前に確認していると、春の陽気がかすかに感じられる二月下旬になっている。この記事で言及される時期でややおかしいところがあるかもしれないがそれは記事を書いている機関に起因するものである。ご了承ください。

*2:ヴァニタスの言語の下を辿ると旧約聖書の『伝道の書』一章二節におけるラテン語の「vanitas vanitatum(ヴァニタス。ヴァニタートゥム)」に行き着く。そこでは全ては空しく陰府には何もないということが語られて、命をはじめとした現世にある遍く事物の儚さが語られている。日本風に言うなれば諸行無常がかなり近しいものとして挙げられるであろう。

*3:ここでは私が読んだものだとセネカ『生の短さについて 他2篇』大西英文訳(岩波書店,2022)をイメージしながら話をしている

*4:私の卒論は芸術鑑賞をテーマにして論を展開しているが、作品・人・場という三要素が互いに及ぼす影響といった関係を元に考察している。そこで語られる場において、生の経験などが持つ力の大きさについて話している。完全に余談で、これについて話し始めるとこの記事よりもはるかに長い卒論については説明しなければならなくなるためここでは記さない。

*5:実はこれでもまだ成長した方で、高校受験の際などは本当に目的意識もなければ、きちんと向き合ってやり遂げるという向上心もそこまでなかった。とあるイラストレーターの方と高校時代に出会うことによって意識が一変することになるわけだが、これはまた別のお話

*6:河合隼雄ユング心理学入門』(培風館.1967)に書いてあった内容だと思われる。

*7:どうやらこういう考えをネットではクネクネしたオタクと言うらしい。もれなく私もその部類なのであろう。

*8:どうやらこの思想と似通ったものとして、ハンス・ヨナスは世代間倫理、次の世代へ繋げなければならない、配慮しなければならないという未来のための義務論のようなものを提唱したものがあるらしい。私は基本、私的な内容にとどまるあまりに個人的な信念だが、ヨナスのは雄大である。依然として私は義務論に懐疑的な所は残っているが、こちらの論はいずれ触れてみたいと思っている。ただ、ヨナスの本はざっくり調べたところあまり邦訳や日本での研究はメジャーでもないらしく、あと、高かった。

*9:アレクサンドル・デュマモンテ・クリスト伯