ああ_____気がつかなかった。
今夜はこんなにも
月が、綺麗__________だ_______
どうも、チート部長です。
月姫リメイクが発売されてから大体二か月たったくらいでしょうか。
自分もしばらく置いてはいましたがやっと手を付けてプレイし終わったので、簡単な感想をここで書き起こそうと思います。
月姫とは
一応このブログでも簡単に説明をしておきます。(もっときちんと紹介されているサイトや動画はネットに数多転がっているのできちんと調べたい方はそちらの方でお願いいたします)
月姫は元同人サークル『TYPE-MOON』(現有限会社ノーツのゲームブランドの前身)が2000年の冬コミ(コミックマーケット59)にて初めて売り出されたものです。
そしてTYPE-MOONの生み出す壮大な世界観や熱いバトルシナリオ等によってノベルゲー界の一躍有名作品となったこともあり、美少女ゲームDVD-ROMマガジンの一つである『TECH-GIAN』の2008年6月号にて月姫のリメイクの製作が発表されました。
_______そして13年もの時を経て2021年8月26日、
月姫リメイクに当たる『月姫 -A piece of blue glass moon-』が発売されたのです。
どれだけの時をファンは心待ちにしたのでしょう。
自分は高校の時からTYPE-MOONの作品に触れ初め、月姫に関心を持ったので実際に発売を待っていた時間としては3,4年にも満たないと思います。
13年もあれば世も人もいろいろ変わるでしょう、惜しくも待ちきれなくて離れていってしまった人もいてもおかしくはありません。
事実ネットの掲示板などでは出ることがないなどといった意見を見かけることも少なくありませんでした。
そのように多くの時間をかけ、いろいろな意味でも話題になっていた作品ですが、今回自分で手に取ってプレイし終わった今だからこそ言えます。
この作品を作ってくれて本当にありがとうございました。
そして、願わくばこの作品を本当に心待ちにしていた待っていた方々がこの作品をプレイし、長く待っていた時をも忘れてしまうような心躍る体験をすることができていますようにと。
公式サイト
「月姫-Apieceofblueglassmoon-」オープニングアニメーション
主題歌「生命線」
歌:ReoNa(SACRAMUSIC)
アニメーション制作:ufotable
「月姫-Apieceofblueglassmoon-」シエルルート オープニングアニメーション
主題歌「ジュブナイル」
歌:ReoNa(SACRAMUSIC)
アニメーション制作:ufotable
それでは以下よりつまらないものではありますがこの作品をし、自分が何を感じたかということについてつらつらと書かせて頂こうと思います。
※未プレイの方はプラウザバックを推奨します、ネタバレが含まれていますので。
アルクェイド√
いやーまずアルクェイドが可愛い、美しい。
あんな表情豊かなキャラクターだとは思いませんでした。新ビジュアル描き下ろしということもあって気合が入っていたのも分かります。
そんな感情を引き出すことができたのは志貴だからこそだったんですよね・・・・・ニクい男です。
アルクェイド√で最大の見どころと言われれば自分はやはり、最後の闘いへと向かうアルクェイドを描いたシーンを挙げます。
長い時を過ごしてきたアルクェイドにとって初めて誰かを愛し、愛されるということを明確に実感した瞬間。
そんな気持ちを抱きながら身体としては万全でなくとも意気揚々に月夜を駆ける真祖の姫君___________いや、一人の少女。
そんな少女を誰が否定し、止めることをできるのでしょうか、実際志貴でさえ止めることは出来なかったのだから。
彼女のありったけの幸せを感じる一方でその先に待ち受けるものを思いやってしまい胸を締め付けられました。
続いて志貴とアルクェイド二人の関係性とお互いにどのような影響を受けたかについて。
志貴も特異な体質ではありますがあくまで人間として吸血鬼であるアルクェイドと出会い、自分がどのような存在なのか自覚していく、アルクェイドもアルクェイドで志貴のような人間に少しずつ感化されていきながらも自分を自覚していくといったような物語だったように思えます。
古代ギリシアの長編叙事詩の『オデュッセイア』ではオデュッセウスという主人公が旅の中で神々や怪物など自分と異なる存在と接触することで自分についての自覚(ギリシアのアイデンティティの形成)をするという物語がありますが言うなればそれと似通う感じでしょうか。*1
自分たち人間も現実で他者との触れ合いの中で自分という存在を自覚していきますがその相対する他者が自分よりもより異質であれば異質であるほど自己の自覚は分かりやすくなったり、強くなったりするのかもしれません。
そんな人間の志貴と吸血鬼のアルクェイドの出会いは正に普通なら出会うはずもない異質な出来事と言えるでしょう。
志貴がそれまでの間に人間として生きることができたのは彼にとっての先生(蒼崎青子)の存在が根底としてあったからこそですが、それを基にした人間である志貴とアルクェイドが交流するわけです。
また、吸血鬼のアルクェイドの持っていた人間と大きく異なる価値観として無駄なことを行わない、というものがあります。
なのでアルクェイドは度々志貴になぜ無駄なことを行うのか度々疑問を口にします。そして、今まで合理的で無駄のなかったアルクェイド自身も志貴とのかかわりの中で無駄をやり、感情を動かされるため更に混乱することになります。
そんなアルクェイドに対して志貴はこう言いました。
「人生は無駄な事だらけだし、突き詰めて考えると生きていること自体が無駄・・・・・じゃないか。その反対で、無駄な事をするために人間は生きているのかもしれない。」__アルクェイド√ 遠野志貴
これは一側面ではなるほど、と思わされましたね。
作中で出てきたように夜きらびやかな光で彩られる駅、化学調味料マシマシの栄養の観点からいうとお世辞にもいいとは言い難いファストフード、娯楽のための映画等々といった奢侈・・・・・。
人間は生きることで必要以上なもの、文明を生み出し発展してきました。
確かに動物も共同体を構成するものもいますがあくまでこれは生きる上で有利になったり必要だからしているのであって人間の営みがゆうにそれを超えているのは明らかです。
しかし、そういったものがあるからこそ、そういったものを目的としているから人間は人間として生きていけるのでしょう。
最近ふと手に取った本の中では
自然は人間に次のことを望んでいる。すなわち人間は動物としての在り方を定める生物学的な配置に含まれないすべてのものをみずから作りだすこと、そして本能とはかかわりなく、みずからの理性によって獲得できる幸福や完璧さだけを目指すことである。
というものがありましたが志貴が言ったことと似ていたのでびっくりしました。今回の月姫の文章内ではカントの人間観に似通うものが結構出てきたように思えました、集団としての種である人間とか。(月姫ではここに個として成り立つ吸血種が対比されるのでより分かりやすい)
ここで語られてる自然の意義や他にも作中で出てきた知識と経験、殺めることと喰らうことなどなど考えに耽ってみると面白いテーマは多々あるのですが完全に脱線するのでここらで留めておきましょう。
月姫無印バージョン(?)をやっていればより深い世界観の考察が出来たのかもしれませんが自分は月姫に触れるのはこれがほぼ初めての状態といったところなのでそこまでは事細かに書くことは出来なさそうです。(アニメの『月姫真月譚』は見たことはありますがあれで月姫に触れたと言ってよいのか悪いのか・・・・・)
何はともあれアルクェイド√、良かったです。
では続いてシエル√について。
シエル√
シエル先輩ももちろんよかったのですが、アルクェイドの失恋という要素が心に強く残っています。
シエル√の前にしたアルクェイドに魅了されてしまったようです。
実際型月作品の攻略対象ヒロインの中で最も好きなキャラになりました。(イリヤは攻略対象ではないサブヒロインですからね)
思い通りにいかない、志貴に嫌われたくないなどといった自分の恋心に煩悶する姿もまた良いものでした・・・・・。志貴の言う通りアルクェイドには笑顔が一番ではありますが。
また、アルクェイド√ではなかったロアの人格の掘り下げがあった点も良かったです。
彼が人間時代に感じた世界の広さを理解するには人間の生はあまりにも狭すぎる、知識を得たというのに自分自身はまだ何一つと知っていないというのは共感できます。
自分自身本屋や図書館にずらっと並ぶ本棚を見て、これらの知識を人生で全て読むことは為し得ないだろうと思ったことがあるからです。(ロアに比べてスケールが小さすぎる)
それについて真っ向から向き合って無限を追い求め、一つの在り方を見出したという点では賞賛もできます、手段としては外道だったわけですが(いや無限という前提から並外れたものを実現するにはそれくらいの方法しかなかった、どんな手段を使ってでもそれを成し遂げようとしたという点で彼は魔術師らしいかもしれません。外道という評価も型月における魔術という観点からいえば一つの賞賛になりうるのでしょうか)
アルクェイド√では人は集団、種として目的を持ち生きているという内容がありました。確かに人は世界というものを理解するため、一人では理解できないものの文字や本、果てには現代にあるような半永久的に記録を残せるネットワークを生み出して知識の継承とそれに基づく世界の分析を続けてきました。それに対してロアはこの目的を個人で成そうとし、果てには転生という思考を持った瞬間に人間ではなくなっていたのでしょう。
こういった感じでロアも味わい深いキャラでしたね、敵キャラが良い作品は作品として面白いという謎の法則が自分の中であるのですが月姫も類に漏れずそうだったみたいです。
シエル√は二つに分かれるのでそれについても軽く触れます。
ノーマルエンド
賛否両論分かれますね、これは。
何かを救ったり、並外れたことを行うには代償が必要であり、失うものがあるというのを突きつけられました。
愛する存在を守るために身を賭すという行いは自分の琴線に触れるのであのシエル先輩の行動はぶっ刺さります。(唯一残された家族を救うために聖杯を閉じるカギという役割を果たした白銀の少女然り・・・・・)
そして、生き延びた志貴も元の場所に帰すためにまた新たな道へと足を踏み出し物語は締めくくられました。
トゥルーエンドも良いですがノーマルエンドはノーマルエンドで心に深い余韻を与えくれるものでした。
トゥルーエンド
これぞグランドフィナーレ。
アツい、燃えるストーリーでしたね、カッコよかった。
なんて技の名前か忘れてしまいましたが大規模な術式による天空の星々から断頭台のごとく降り注ぐ魔力の奔流、あんな大技見せつけられて滾らないはずがありません。
ロアも自分なりの答えを見つけ、まさか志貴に手を貸して散っていくとは・・・・・。
アルクェイドとシエルも互いの心を理解し、アルクェイドは初めての自分の恋にケリをつけて去っていく。
志貴とシエル先輩はこれから先の道を共に歩む。
文句なしのハッピーエンドでしょう。
そして、トゥルーエンドを迎えた後のホーム画面で静かに流れる生命線(piano ver.。
完全に月姫リメイクをプレイしきった達成感、こんな良質なストーリーに巡り合えたことへの感謝、作中での様々な出来事などなどを振り返りつつBGMに耳を傾けました。
まとめ
だらだらとではありますが何とか無事書き終えることができました。
感想ブログはなかなか難しいですね、まだ二回しか書いたことありませんけど。
書いた文を目の当たりにすると自分の思考や感受性の底の浅さを目の当たりにするような気分になるというか・・・()
そういったことを自覚しつつここまで文を書き挙句の果てにネットに挙げるというのもある意味すごいことをしているなと我ながら思ってしまいます。
そんな文ではありますが、もしこのブログの感想を見て月姫リメイクに対し、新たに思いを馳せたりすることができたりすることがあったならば自分としてはもうこの上ありません。
書いてて思ったんですが型月作品についてのブログあげたのこれが初めてなんですよね、衝撃。
元々はノベルゲーにがっつりハマる前、最初にノベルゲーというのに触れた作品は型月作品であり、その世界観にのめり込んでいたのにもかかわらず今まで一回も書いたことがありませんでした。
型月作品は大好きなのでこれを機に他にも書く機会があれば書いていきたいと思います(無事月姫リメイクも終えたので聖地巡礼したらブログにまとめるかもしれません)
では今回のブログはここら辺にて。
ここまで読んでくださった皆様ありがとうございました。