cheat_IEの雑録

趣味関連のことを書きます。

【感想】『ARIA 完全版』を読む

 

今回の記事は『ARIA』という作品の感想を書くものです。

フォロワーの方から『ARIA 完全版』をまさかの全巻頂いてしまうということがあったので、これはきちんと何かの形にしなければ・・・と思い書き始めました。

 

当該ツイートはこちら

 

 

 

改めまして、まずはそのFFの方に謝辞を。

このような素晴らしい作品を触れる貴重なきっかけを下さり、誠にありがとうございます。

私も今まで自分の好きな作品を布教するといったことをオタクの端くれとして行ってきましたが、漫画であればせいぜい貸す程度のものでプレゼントをするなんてことは一度のたりも行ったことがありませんでした。

布教用として購入し、プレゼントをする。

そして、あわよくば好きになってもらいコンテンツを盛り上げたり愛してもらったりする。

自分の好きな作品を勧める上で模範となるような行いだと感じました。

そして、その作品に対する熱い思いと作品の良さは伝わりました。

これから書くのは自分なりに感じた作品の魅力と自分の気持ちです。

この記事を捧ぎます。

 

一巻ごとに感想を書いて纏めようとしていましたが、自分のものぐさという悪癖のために結局一巻以降は一気に感想を書くことになってしまいました。
以降、それぞれの巻ごとの感想を記します。

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

第一巻

 

 

世界観に胸を打たれました。地球(マンホーム)にあった都市、ヴェネツィアを模した水上都市、「AQUA(アクア)」の風景は圧巻です。これは私自身がヨーロッパを理想化しているという部分もあるかもしれませんが、かの地は町全体として芸術、歴史を体現したようなところがあります。そのような優美な地でキャラクターたちが駆け巡る光景に思いを馳せるだけでも、鑑賞として満足感を得ることができました。読み進めていく中で心地よい潮風と潮騒の音を作品から読み取ることができます。

主人公は元々地球出身のため、ネオ=ヴェネツィアに住んでいる人々から度々投げかけられる一言があります。一番最初に出会った郵便配達のお爺さんからは「まったく不便で不便でならねぇ」、浮島の火炎之番(サラマンダー)をしている暁からは「地球は完全自動に対し、アクアは手動で、熱さの調整も大雑把なのがご愛敬」といった内容のものです。住んでいる当事者らは街の良さを実感していることはもちろん、その他の星について自分で行ったことが無いように見受けられるため、そこまでAQUAの面倒さ、マイナスの面を強く実感していったものではないでしょう。どうやらこの世界では地球はかなり技術が発展しているようなので地球出身の灯里を慮って発言したものと考えるほうが適切です。そして、当の灯里は上に挙げた二つの言葉に対してこう返答します。一つ目では不便でならないと言いつつも不思議と落ち着くというお爺さんの言葉に「わかります」と同意を示した上で発展した地球の姿について「でも・・・そのすっきりして便利な街の姿が物足りなく感じてしまうんですよね。」と言いました。二つ目では、「確かに・・・地球に住んでいたときはいつも快適な気候だったけど」、「何でだろう、私はこっちの方が好き──。」と言いました。地球という便利な環境を知ってなお、上記のような回答ができるという点で主人公の在り方を類推することができます。水先案内人(ウンディーネ)を目指しているという点でアクアに対し、並大抵でない憧れと魅力を感じているという部分は大きいでしょうが、恐らくそれのみではないでしょう。この作品に後に描かれるであろう四季をめぐる街の移り変わりやイベントの数々といった魅力、そんな街で紡がれる人情といった暖かさがあってこそのもの、発言だと感じました。

主人公はそういった人情や街の風景の移り変わりに非常に敏感で、情緒豊かな少女です。主人公のそんな人柄が現れた言動に対し、友人の藍華は「○○セリフ禁止!」というお決まりの流れ(?)が描かれていてそれもそれで微笑ましくもありますが、このシーンはやはり主人公の感じたままの思いをストレートに表現したような言葉に胸を打たれるものがあります。特に、美しい風景が漫画2ページ分を使って描かれた風景と主人公の一言の組み合わせは本書の大きな見どころの一つです。

上に連なる一つ灯里の魅力として、日常の何気ない1シーンと向き合うことができる、肯定することができるという点もあります。人との出会いや出来事、日常の小さな幸せが描かれるこの作品はどこか自分たちが日々喧騒にもまれ、見落としているようなことに気づかせてくれる、目を向けさせてくれるような気がしました。現実世界は技術の発展を目指し、必死に忙しなく日々を送っているが、どこか空虚な気持ちや天井が迫っているような閉塞感を感じることも少なくないです。そんな時に開けば、きっと忘れていた身近な存在の輝きを掴むことができるかもしれない、支えとなってくれるかもしれない、そんな本と言えるでしょう。

特に昨今渋谷という自分に身近な街が再開発を行うといった話題を目にすることが多かったため、街の在り方、という部分について考えさせられるところがありました。

一巻はこのような感じで。おしまい。

 

 

第二巻

 

 

一巻では大まかな魅力について書いたので二巻以降では、色々とあった話の中で心に残ったエピソードを抜粋して提示し、それについて書いていきます。

第二巻で選んだものはこちら

 

navigation14 お天気雨

題名から話の内容、流れが非常にきれいにまとめられていたため、心に残ったものとして挙げました。
ネオ=ヴェネツィアということでヴェネツィアの舞台のみしか出てこないと思いきや初めて日本の景色が出てきたという驚きがあります。
島にたどり着くやいなやその島の逸話を聞き、あちこち歩きまわっているうちにその怪異に出会うというひょんな体験をするお話。
どこかで似たような話を聞いたことがあるような感じで、話の展開自体にそこまで新規性のようなものはないかもしれません。
ただ、そこがこの作品の一つの魅力なのではないかとも思えます。このエピソードでさえ『ARIA』という作品全体の中で見ると時折描かれる日常では見られないような、隠れた不思議が描かれたエピソードです。基本この作品は一巻でも書いたかもしれないが何気ない生活を軸として描かれている、正真正銘の日常系作品と言えるでしょう。ただ、そこで活き活きとしているキャラたちが送る話には読み手を引き込む強い魅力を持っています。
最近流行っているエンタメ作品(特にオタクのみならず世間的に受けの良いもの、ジャンプ作品など)の傾向としてわりとグロめだったり殺伐としていたり、奇想天外の話が描かれるもののウケが良いことや実際そういった作品に触れてばかりで日常系の作品を暫く触れていませんでした。論述にしてもそうですが、やはり奇抜だったり人がバタバタ死んだりといった表現が過激な作品はそれだけでもインパクトは出ます。中身どうこうを細かく検討するとまた話は別ですが、少なくとも話に動き、起伏が生まれるでしょう。
そういった意味で日常に立脚し続けて面白い話を描くということは高度なことではないかと思いました、それをこの作品は成し遂げているのです。
またもや具体的な話の内容から外れたことを書いてしまったので、元の話題に直ると、題名がその話を体現していることや題名のキーワード「お天気雨」を最後に持ってきて帰結してることなどから流れがとてもきれいな話だと感じました。

 

 

第三巻

 

 

navigation22 満開の森の桜の下

灯里とアリシアさんが道行く途中で分かれ道に出会った際に灯里が選んだ道に進むと当初予定していた場所には辿り着くことはできなかった。しかし、その道の行く先には満開の桜が咲いていた...という話です。

「人生は選択の連続である」*1という言葉がありますが、それは正鵠を得ていると言えるでしょう。日常の些細な生活の中でも、昼食の選択など選択を行っていますし、進学や就職などの大きな転機でも私たちは数多くの選択肢の中から選び取らなければなりません。(こういった選択の自由が当たり前でないことや、自由であるからこそ選択には重さが伴うという細かな点は話の筋から離れるため、ここでは触れません)そして、選択することには喜びや後悔、成功や失敗が伴います。作中でも、灯里が道を選んで意気揚々と進むものの、目指していた風景は現れず、日が暮れていく場面が描かれています。アリシアさんは自分が紹介しようとした場所の道を覚えておらず、このような状況になってしまったことに申し訳ない気持ちを示しますが、灯里はそこで一つ区切りとして目の前の木を指さします。「あの木まで行きましょう。」と。そこに行くと、大きな木と寂れた列車が佇んでおり、情緒深い風景が広がっています。「失敗や寄り道をしなければ見つからないものもある」という話です。選択した道には見えなかったものがあり、まずは目の前のことを肯定しようと『ARIA』という作品の一貫した姿勢を読み取ることができました。

似たような人生の選択に関する話として、藤子・F・不二雄先生の『パラレル同窓会』がありますが、それを彷彿とさせる要素も感じました。
最近、私自身も大きな選択をすることがあり、直近の私の意向からすれば、今手に取った選択肢はお世辞にも成功と呼べるものではありませんでした。それでも、道を歩んでいけば桜のような何かが見つかるかもしれないと信じて歩んでいこうという後押しをしてくれるような話です。
選ばなかった道というものは、やや過激な論調になってしまうかもしれませんが、もはや過ぎ去ったものであるため、無いも同然と言えるのかもしれません。そして、そこに執着して今を失えば、それはもう取り返しのつかない悲劇となるでしょう。(もちろん、もう一度チャレンジし直すなどの選択肢もあるとは思いますが)現在存在しているもの、目の前にあるものを肯定することは、生きる上で間違いなく重要だと感じました。

最後に二つほど自分の心の中に残っている言葉を二つ挙げます。

 

結婚したまえ、君は後悔するだろう。
結婚しないでいたまえ、君は後悔するだろう。

──キェルケゴール『憂愁の哲理』

 

どの路を選ぶかではない。どんな風にこの路をゆくか。それが私の唯一の路です。

──竹久夢二竹久夢二詩画集』

 

まず前者のキェルケゴールの言葉はどんな選択肢をとっても結局人は悔いるのである、ということを結論づける一言です。たられば論、こうだったかもしれないということをどうしても思わずにはいられないというのは悲しいですが人の性質です。その意味でキェルケゴールのこの言葉は一つの真理を捉えた言葉であることに間違いはありません。

ただし、先述したとおり、この性質に振り回されていてはまともに先の道へ歩んでいくことができなくなってしまうでしょう。

そのような厳しい現実に直面した際に、背中を押してくれるものが後者の竹久夢二の言葉です。もはや選択どうこうではないと喝破してしまうのです。今選んだ道こそが大事だと、そこで自分がどうするかを考えろと、そう言うのです。よほど道理から外れない限り、完全に悪、間違いなんていう道はないと思われます。灯里達が最後にたどり着けた思いもよらない美しい光景があるように、そこの道だからこそ得られたものも何かあるはずです。

そういったものを信じて歩んでいくしかないのでしょう、それが大事なのでしょう。

 

 

navigation24 水の三大妖精

「師弟関係」、これは『ARIA』という作品を代表する魅力の一つでしょう。
既にアリシア×灯里というARIAカンパニーのコンビは話の中心として出てきていますが、このエピソードにて新たな師弟関係、桃屋の晃と藍華のコンビが出てくることになります。
藍華桃屋の跡継ぎということもあり、周りが遠慮する中、晃だけはまっすぐと向き合い、ぶつかってくれたというのは大きいのでしょう。
それぞれの関係の在り方、エピソードに味があり読んでいて面白かったです。
正直ここから紡がれるエピソードが『ARIA』で一番泣かされる部分だと思いました。
現時点ではまだ出てきていない部分も多いので、後に語ることにします。(全部読んだ上で書いているので書こうと思えば書けるのだが流れに準拠します。)

そういえば、師弟関係、魅力な作品は結構ありますよね。今まで自分が触れたものだと『RELEASE AND SPAICE』や『りゅうおうのおしごと』、『ヒカルの碁』あたりです。

 

special navigation 風邪とプリン

藍華が風邪をひいてしまい、少しアンニュイになってしまうというお話。
一人前を目指して切磋琢磨する新たな仲間、オレンジぷらねっとのアリスちゃんを迎えて更に賑やかになったものの、ある時藍華は自身が立っていない二人の和やかな雰囲気を見て少し不安になってしまいます。弱り目に祟り目というべきか、そこに風邪まで引いてしまった時に二人がお見舞いに来ます。
この話で印象的なのはそのような不安をぽつりと藍華が呟いた際に頭ごなしに否定することはおろか、むやみやたらに前向きな言葉を投げかけるわけでもなく「うん、わかるよその気持ち」、「うんっ」と友人の気持ちを受け止めていたところです。
灯里はポジティブなキャラですが、暗い気持ちを抱えた人にもきちんとよりそりそうことのできる優しい女の子なんだなということを実感しました。そして、藍華が気持ちを吐き出し、前を向き始めたら何事のなかったかのようにいつも通りに元気に話しかけられるという点で立ち振る舞いの切り替えができるということも分かりました。。
ARIA』という作品は灯里という魅力ある主人公がいてこそ成り立つものだと強く感じたエピソードでした。

 

 

第四巻

 

navigation36 オレンジな日々

内容はもちろんのことFFの方が良い!とツイートしていたこともあり、色々と印象的な話。

その方とお話をした際、アニメでもこの回が一番人気だったと聞いたのですが実際に調べて見ると

 

mantan-web.jp

 

このような記事もあることから、『ARIA』のファンにとっても特別なエピソードだということがうかがえます。

自分も実際に読んで心に残りました。ここまで人気となるともはや自分があれこれと感想を言うのも蛇足な気もしますが、簡単にまとめます。

この話の魅力は何と言っても終盤のアリシアさんの一言に集約されていると思います。

 

「うん、あの頃の楽しさに囚われて、今の楽しさが見えなくなっちゃもったいないものね。あの頃は楽しかったじゃなくて、あのことも楽しかった・・・よね。(中略)

あっ、でもワンポイントアドバイス。今、楽しいと思えることは今が一番楽しめるのよ。だからいずれは変わっていく今を、この素敵な時間を────大切に・・・ね。」

 

最大限の今目の前にあることの幸せ、楽しさと向き合い肯定する。昔のことと比較対照するのではなく個別のものとして捉えてそれぞれの良いところを見つけるということ。どうしてもその出来事が幸せであれば幸せなほど楽しければ楽しいほど、それは神聖不可侵の、比類ない最高の思い出として美化されていき、それと今を照らし合わせて思わずため息をついてしまう・・・なんてこと珍しいことではありません。特に重ね重ねにはなりますが今私は残り僅かの最後の学生生活という事実に直面しているわけでどうしてもこれまでの半生とこれからを照らし合わせて憂鬱になるなんて度々あります。それでも、過去は過去で楽しかったし未来は未来で楽しいことがあると割り切り、とりあえずは今あるものを存分に楽しむ。これが大事なのだと感じました。生きる上で切り替えられるか、一定の線引きを引けるかというのは思った以上に大事なことですね。同語反復で当たり前のことではありますが今は「今」しかないのだから。

ローマの詩人のホラティウスの詩や聖書に出てくる言葉として「carpe diem(カルペディエム)」という言葉があります。それぞれに細かい文脈があり、それによって多少意味が変わるのですが共通するこの言葉が出てきます。その日を摘め、今を熱心に行えといった意味です。特に後者の聖書の方ではvanitas vanitatum(全ては空しい)やメメントモリといった意味を踏まえた上でこの言葉が語られることも少ないことから、今を楽しむこと、今を肯定することには厳しい世の中でも重要なことだと語っていると解釈することができます。

このような大切なメッセージが強く込められているのが「オレンジな日々」という話です。そして、この言葉は『ARIA』の最終巻にもう一度出てくることになります『ARIA』という作品はそれぞれの話ごとに日々の支えとなるようなメッセージがそこかしこに散りばめられていますが、その中でも特に光り輝く言葉が今回のものだと考えています。

 

 

第五巻

 


navigation41 春の女神

藍華は憧れのアリシアさんを真似てロングヘア―にしたものの、ひょんなことからBBQ中にその髪を焦がしてしまいます。落ち込んだ藍華を慰めようと灯里とアリスが来て、藍華はその憧れの気持ちを吐露しますが、それに対し晃は「お前はアリシアにはなれん・・・!おまえは────おまえにしかなれねーんだ!」と強く激励します。ややぶっきらぼうなところもあり、最初は誤解を感じそうになるものの「おまえはおまえ」という最後の一言で晃の真意を汲み取り、藍華も立ち直るというのが一連の話です。

語気が若干強く、ぶっきらぼうなのですれ違いが起きることもありますがやはり晃は藍華のことを本当に大切に思っているということが分かる回でした。というのも、「おまえはおまえ」という言葉は全面的な相手の肯定となるためです。その言葉は今そこにいるあなたは他の誰でもない、かけがえのないものであるという証です。最後の一言で恐らくその思いが伝わったから藍華も立ち上がることができたのでしょう。

大学で受けたキリスト教の講義で、キリスト教神学の最重要概念は「to doの世界観で人を愛するのではなくto beの世界観で人を愛すること」にあるというものがありました。to doの世界観とは業績主義や等価交換が原則となったもので○○をしたかどうかが尺度となり人は判断されます。私的な要素、個という諸属性を社会に出るとこの価値観が一般化されています(直近で実感したものだと就活とかが良い例でしょう)。これに対し、to beの世界観は何を為したかなど関係なく、無条件にこちらが何も与えることが無くとも一方的に授与される愛だとされています。to beという言葉をそのままにとらえると「ここにあること」といった意味になると思いますが、ここにある私をそのままに肯定してくれる、あなたはあなただと肯定してくれることは非常に深い愛がこもったものだということができます。

「おまえはおまえだ」、この言葉には並々ならぬ気持ちがこもっているのではないか、そんなことを感じたエピソードでした。

 

 

第六巻

 

 

navigation55 お月見/special navigation 星占い

55のお月見が藍華とアルの話で、スペシャルの星占いが灯里と暁の話です。

恋愛が主題というわけではありませんが時折挟まれる男女コンビの話やそこで描かれる人物たちの感情の機微は見ていて面白いものがあります。藍華は三人の中でも最も年上ということもあり、男女の関係に意識を向けているのか感情が読み取りやすいですね。赤面した藍華可愛い、恋する女のことは一変するとは正にこのこと。アルくんもアルくんでお月見の話の最後の見開きで「ひかれあう力のなせるワザです」というセリフと共にさりげなく藍華の手を取るというムービング。男女ともに年齢が高いこともあり、お互いに心情の揺れや動きを感じつつ距離を近づけているというのがいいですね。男女という意識はそこまでなく親しみを深めていく灯里と暁の関係もなかなか乙のものがありますが。

 

navigation57 トラゲット

珍しく他の水先案内人が出てきたということもあり印象的な話でした。やはり、競争が厳しかったり試験が難しかったりと一筋縄ではいかない世界であるということを見せてきました。そのような中でも切磋琢磨し、歩き続ける少女たち。今回焦点を当てるセリフは女の子の「他人を変えることはできなくても自分を変えることはできるもん」や灯里の「自分で自分をおしまいにしない限りきっと本当に遅いなんてことはないんです」といった一言。

現実ではどうしても時間制限付きのものもなくはないですが、逆に言えば大体のものは遅いなんて言うこともなくチャレンジすることができます。自分でおしまいにしない限り、ということは厳しい捉え方をすると自己責任ということにもなりそうですが、それでもある程度のことは何とか出来るというのは何かをする上で後押しとなるような言葉でしょう。とにかく灯里にポジティブ思考はすごいですね。

 

 

第七巻

 

 

とうとう来てしまいました、『ARIA 完全版』七巻、最終巻です。

この巻はもはや○○話を選りすぐることが難しいくらいに、一つ一つの話がとても感動的でした。久しぶりにマンガを読んで泣かされました。

飛び級という前代未聞の偉業を成し遂げ、一番最初に一人前になったアリスをはじめ、藍華も師匠の晃との回想を交えつつ一人前に。そして、最後はアリシアさんから灯里へと一人前のバトンが渡され・・・各々が自分の道を進んでいくことになります。第四巻のnavigation36、オレンジな日々を思い返しつつ読むと殊更に胸に響きます。かねてからの自分の夢がかなう瞬間というのは本当に喜ばしいもので、お互いにそのヨロおk日を分かち合いますが、それは同時に今までの時間とさよならをすることも意味していました。ただそれでも、今までの話を通してこの『ARIA』という作品に出てくる人物はみんな心優しくて自分以外の人が悲しい時は共に悲しみ、嬉しい時には共に喜ぶ、他人の出来事を自分の出来事かのように真摯に受け止めることのできる子たちが集まっているんだなということを読んでいて感じさせてきました。仮に自分が置いて行かれるとしても、しばし離れることになってもまずは相手の喜びを全面的に賞賛する、その人の道行きに幸があらんことを祈ることができる。優しさに詰まったエピソードが描かれていました。そんな仲間と共にいたからこそ夢をかなえられたのでしょうし、その先の道も胸を張って進むことができるのでしょう(新たな道へ進むというのは希望もありますが当然不安も付きまとうものです)。

「だからいずれは変わっていく今を、この素敵な時間を────大切に・・・ね」

別れがあれば新たな出会いもあるものです、気づけば灯里はアリシアさんが立っていたところにつくことになり、新たな弟子を迎い入れるところで話は閉じます。これから先もこの美しい海と共にある街で、あたたかな人の縁が紡がれていくのだろうなあといったことに思いを馳せ読了しました。

 

 

最後のまとめ

ざっくり感想をまとめてみました。自分は作品に触れる際、読み手のことを顧みず全力で言語化を行い感想を書くか、もしくは自分の中でふと感じた思いに留め感想などは一切書かないというこの二択が基本となってしまうので、今回の記事はそこそこ長いものとなってしまいました(ちょうどいい塩梅というものを知らない。)

ただ、日常系の作品でここまで色々なものを伝えてくるという所には驚かされました。壮大な使命や複雑な世界観、人間関係があるわけでもなくネオ=ヴェネツィアで暮らす人々をえがいた物語です。最近日常系の作品に触れていなかったということもあり新鮮な感覚で読むこともできました。

ヴェネツィアに行きたいという熱も芽生えてしまいました。(町全体が芸術のようですし、ティッツァーノといった有名な画家が描いた絵画もありますし・・・。)

勧めて下さった方にとっては特別な作品とのことでしたが、私もこの作品の魅力を感じ取ることはできたかなと考えています。今あることを肯定すること、何気ないものを、日常が過ごせることの幸せ、人の温かさ・・・。

このような作品と出会えたことに心から感謝しています。最後になりますが天野先生をはじめとしたこの作品を世に生むことに携われてきた方々、そして自分にお勧めして下さったFFの方に感謝の意を記し閉じさせていただきます。

ありがとうございました。

 

 

 

*1:なお、余談にはなりますが先ほど挙げた「人生は選択の連続である」という言葉については、ネット上ではシェイクスピアの『ハムレット』で述べられているとされる情報が多くありますが、いずれも出典を明示しておらず真偽が怪しいものです。私自身も『ハムレット』を読んだことがありますが、そのような表現は記憶にありません。(実際、知恵袋などでも元ネタに関する質問に対し、そのような回答がなされているものもありました。)多くの人が独り歩きしているような言葉は少なくありませんが、確かに○○というお墨付きがあれば言葉に影響力が出るということも理解できますが、できるだけ正確な事実に基づいていることが重要だと思います。ただし、その由来がはっきりしなくなったからと言って、この言葉の魅力がなくなるとは私は考えません。「人生は選択の連続である」という言葉は、よく言ったものだと思いますし、この言葉を創出した人物の聡明さには脱帽です。